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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

東大寺 ~會津八一歌碑~

2018-07-22 10:24:11 | 文学をたどる
 東大寺の参道を歩いて、南大門を過ぎたあたりに、新しくできた(といっても平成23年だが)東大寺ミュージアムがある。

 

 そのミュージアムの傍らに、人の背よりも大きな、奈良の古刹には必ずと言ってよいぐらいにある會津八一歌碑が建っている。

 

 歌碑には、「おおらかに もろて の ゆび を ひらかせて おほき ほとけ は あまたらしたり」と八一の自筆の書で歌が刻まれている。歌碑の横には説明板が建っており、それによると、八一の古希を記念して建てられたものであるらしい。

 

 この歌は、「自注鹿鳴集」所収の「南京新唱」の中で「東大寺にて」という題で詠まれた二首のうちの一つである。おおらかにもろ手の指を開いているおほきほとけとは、奈良の大仏さんのこと。

 

 確かに大きく豊かな手の指が開かれている。それ以上に奈良の大仏さんこと盧舎那仏は、全宇宙と一体になっているということなのだろうか?あまたらしたりとは、自注によると、宇宙に遍満すとも、或は宇宙と大きさを同じうすともいうべしとある。宇宙と盧舎那仏と混然と一体になった様子をイメージしているのだろうか。説明には、宇宙の中心にあって、知恵と慈悲の光明をあまねく照らす仏さまと盧舎那仏について説明をしている。
 
 

 自注には、明治41年(1908)に初めて東大寺に詣でたという。その時は大仏殿は大修理の最中であったという。

 「東大寺にて」という題では、もう一首あり、「あまたたび この ひろまへ めぐり きて たちたる われぞ しる や みほとけ」という歌である。
 何回も大仏さんもお参りに来て、広場に建っている私を仏さまは知っているのかという内容だろうか。大宇宙たる大仏とそれから見ると本当に小さい自分との対比が妙である。

 

 これだけ大きな建造物と盧舎那仏像を見上げると、わかる、僕の存在、わかると呼びかけたいような気持ちにはなるなあ。

 東大寺も小学校の遠足以来何度も来てるけど、毎回それなりに発見がある。會津八一の歌碑も何回も言っているうちに、普段は気には留めなかったものが、目について調べ始めたものだ。
 そうした視点でみるとまた面白い。

 

 

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