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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

令和6年度 史跡池上曽根遺跡 発掘調査現地説明会

2024-09-28 23:28:17 | 現地説明会
 令和6年9月21日(土)
 池上曽根遺跡は、和泉市から泉大津市にまたがる弥生時代の大規模な集落跡であり、これまで発掘調査において数多くの画期的な発見があった著名な遺跡であり、昭和51年には国の史跡に指定されている。
 今回は、令和5年に続く、史跡公園の第2期整備事業に伴う発掘調査とのことだ。
 この日は、電車の接続が上手くいかず、現地説明会の始まってから現地に到着してしまった。非常に風の強い日で、風にあおられて資料が読めず、しかもマイクの故障により、担当者が声を振り絞りながら説明するというような状況であった。

 
 
 今回の発掘調査では、まず古墳時代中期の木棺墓が見つかっている。木棺1・2・5は長辺約2m、短辺約1mの長方形、木棺墓3.4は長辺約1.6m、短辺約0.8m、小さめの長方形であり、こちらについては、子どもが埋葬されたのではないかと考えられている。
 
 【木棺墓4・5】※上が4
 

 調査区を見学できる場所が限られており、なかなか目的のものの写真を撮ることが難しく、モニターに画像を写しながら手を挙げて撮影したので、後で見るとう~んというものかなりあった。(笑)

 【木棺墓3】
 
 
 木棺墓については、令和5年度の調査でも木棺墓が6基見つかっており(手前のブルーシートを敷いている所らしい。)、全部で11基となった。
 ただ、これらの木棺墓につながる集落が見つかっていないという事で、この地に埋葬された人々がどこに住んでいたのかは、謎であるのだそうだ。

 次に大型掘立柱建物の柱穴が見つかっており、写真で職員の方が立っている所がそれである。
 
 
 調査区内でも2~3棟の建物があった可能性があるとのこと。

 

 見る感じ、そこそこ深そうではある。
 これらの柱穴は、これまで確認された大型掘立柱建物と方位が共通しているとのこと。

 

 これですかね。これらの柱穴は弥生時代中期後半のものと考えられている。

 最後に焼土遺構が2ヶ所見つかっている、調査区の北西と南西の端にそれぞれにあった。

 
 
 よく見ると赤い焼土もあるようだ。

 

 これらの焼土遺構について、どうゆう目的で使われたのかわからないとのこと。遺構面は弥生時代中期後半のものであるとのこと。
 もしかしたら祭祀のため、供食するためにここで肉を焼くなどの調理をしたのではないかという説明もあった

 最後に池上曽根遺跡情報館にて昨年度の発掘調査で出土した木棺墓のパネル展が行われており、木棺墓の写真と須恵器等が展示されていた。

 

 

 

 

 これらのパネルを見ているうちにタイムリミットとなり、早々に引き上げ、次の場所へ向かうこととした。

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