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観墳橋を渡って、南エリアに入る。しかし、観墳橋とはよく言ったもので、中央エリアの倉塚古墳や一本松古墳、両エリアにまたがる佐味田狐塚古墳(見事に道路でぶった切られている所が良く見える。)、そして南エリアの巣山古墳などが見渡せる。
巣山古墳の北側の外堤と接するところに古墳のような高まりがある。上に登ってみると円筒埴輪の模型と埋葬施設を示すものがある。
奈良県の遺跡地図には、久保松塚古墳とあるのがそうだろうか。
詳細は不明。
雰囲気的には、巣山古墳と何らかの関係のありそうな遺跡である。遺跡のすぐ手前には、巣山古墳の巨大な墳丘が見える。この姿を見るだけでワクワク。
巣山古墳は、北側に前方部をむける全長210mの前方後円墳で、後円部径118m、高さ17m、前方部幅96m、高さ15mとなっており、後円部の方が大きい前期古墳の特徴を示している。
墳丘の周りを周濠が巡っており、その外堤を含めると長さ330mにもなり、巨大古墳の一つである。ただ、私が訪れた時は、周濠の中に重機が入って作業をしており、どうやら外提の一部が崩れたような感じだった。
残念なことに、工事中であったため、水がかなり抜かれた状態でもあり、周濠を持つ巨大古墳の、水をたたえる周濠の中で島のように浮かぶような墳丘の姿を、この日は見ることができなかった。それでもこの古墳の雄大な姿は、人を魅了するには十分な魅力を持っていると思う。
巣山古墳は、4世紀末の築造と考えられており、馬見古墳群の中でも一番規模が大きく、古墳群の盟主墳の一つである。
埋葬者は、たいていの古墳と同様に全く分からないが、後円部には二つ竪穴式石室があり、前方部にも一つ竪穴式石室があるのが知られている。滑石製の勾玉や車輪石、鍬形石などが埋葬品として見つかっている。
この日は確認できなかったのだが、墳丘の西側に出島状遺構が見つかっており、ここからは家形埴輪や蓋形埴輪、水鳥型埴輪などが出土している。同様の施設は、古市古墳群の城山古墳などでも見つかっている。
写真は、後円部、墳丘の裾にはブロックみたいなので補強しているようだ。
巣山古墳では、2000年ごろに行われた発掘調査では、葬祭儀礼に使われたと思われる木製品などが多数見つかっており、その中でも、長持形石棺の蓋や船形の一部が見つかっており、葬祭の時に石棺を運ぶのに用いられたのではないかと考えられている。
公園側(西側)からの古墳は、よく見えるのだが、東側はどうだろう。そういえば、ぐるっと古墳を一周するような道がないような気がするのだが・・・。
この工事も、今年の3月で終了するらしいので、もう少しいい状態の時に来てみたいなと思う。
そして、巣山古墳の東側に、三吉2号墳と呼ばれる帆立貝式古墳がある。馬見丘陵にある古墳では、帆立貝式古墳が非常に多い気がする。
古墳の大きさは、全長89.8m、後円部径78.4m、前方部41.2mとなっており、5世紀の後半の築造と考えられている。ということは、巣山古墳と100年ぐらいの差があるということで、直接、巣山古墳とは関係がないようである。
埋葬施設などもすでに消失しているようで、詳しいことはわからない。
墳丘には、登ることができるので、頑張って登りましょう。(スロープもありますよ。)
最後に、三吉2号墳の記述を持って、馬見丘陵公園内にある古墳は、一応終了。ここまでくると北支群や南支群も見てみたくなってきた。近いうちに時間を設けて探索してみよう。