令和6年9月21日(土) 池上曽根遺跡は、和泉市から泉大津市にまたがる弥生時代の大規模な集落跡であり、これまで発掘調査において数多くの画期的な発見があった著名な遺跡であり、昭和51年には国の史跡に指定されている。 今回は、令和5年に続く、史跡公園の第2期整備事業に伴う発掘調査とのことだ。 この日は、電車の接続が上手くいかず、現地説明会の始まってから現地に到着してしまった。非常に風の強い日で、風に . . . 本文を読む
令和5年9月18日(祝)
昨年に引き続き唐櫃山古墳の発掘調査の現地説明会に参加してきた。
※昨年度の現地説明会については、こちらを参照→「唐櫃山古墳発掘調査 現地説明会」
昨年の発掘調査では、後円部に付属する造出し状の付属施設が存在することが明らかになっている。
さて、今年度の成果はいかばかりか?今回、参加者が多かったので、一度に墳丘の上に登れないとい . . . 本文を読む
令和5年9月9日(土)
法隆寺の参道沿いにある法隆寺iセンターの駐車場にある舟塚古墳で発掘調査が行われ、9日(土)に現地説明会が行われるという情報が二日前ほどに入った。久しぶりの発掘調査の現地説明会という事で、楽しみにしていた。その間、テレビや新聞等でこの古墳のことが報道されており、「まさか古墳が?こんなとこに」みたいな取り上げられ方をしていたのが印象的であった。
そして、当日、いよい . . . 本文を読む
令和5年1月11日(水)
今年の墳活始めは、和泉市で行われた信太貝吹山古墳の発掘調査の現地説明会。割と小規模な発掘なのでひっそりと開催された。HPでは説明が10時半開催となっていたのに、10時過ぎに着いた時には、説明が始まっていた。実はちょっと早い目に着いたので、付近をぶらぶらしていたのだが、不覚であった。
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令和4年10月15日(土)
昨年度に引き続き、奈良文化財研究所による興福寺東金堂院の発掘調査の現地見学会が開催された。非常にお天気も良く、現地見学会には最高に天候であった。
興福寺の東金堂は、現在建っているのは、応永22(1415)年に再建されたもので、奈良時代、神亀3(726)年に聖武天皇により、元正上皇の病気平癒を祈願して薬師三尊像を安置する金堂として建設されて以来5代目になる。
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令和4年10月23日(土)
土師ノ里駅から府道堺大和高田線を渡って、少し東に行ったところに今回、発掘調査が行われた唐櫃山古墳がある。古墳と隣接してある、コンビニエンスストアから古墳の敷地に入る。現地に着いたときは、ちょうど1回目の説明が終わった時で、かなりの人が集まっていた。
唐櫃山古墳は、市野山古墳(伝允恭天皇陵)の南にある古墳時代中期後半(5世紀の後半か?)に築造された全長59 . . . 本文を読む
令和4年12月10日(土)
古市古墳群を構成する代表的な古墳の一つ、羽曳野市にある峯ヶ塚古墳にて発掘調査の現地見学会があるという事でさっそく現地に行ってみた。
峯ヶ塚古墳について、簡単に記してみると、5世紀末に築造された、墳丘長96m、後円部直径56m、前方部幅74.4m、後円部高9m、前方部高10.8mと前方部が発達した後期の古墳の特徴が表れている前方後円墳である。
二段に築 . . . 本文を読む
令和3年10月2日(土)
昨年度に引き続いて、藤原宮大極殿の北方の調査である。そのため調査区は大極殿の北西部に寄っている。
今回は、昨年度の205次調査で検出された大極殿後方東回廊につながる後殿にあたる建物の有無を探ることを目的として実施された。
調査結果としては、北方回廊と大極殿後方東回廊との間には建物らしきものは確認できず、藤原宮造営時の運河や藤原宮造営以前に造られたと考え . . . 本文を読む
令和2年11月7日(土)
コロナ感染症対策として、毎回のように調査員による全体説明がなく、質問があれば個別対応という形になっていた。僕としては、とりあえずいろんな所で質問攻めにあっている調査員の話を耳をそばだてて聞き入ることにした。
とにかく、こういった生の遺跡を直接見る機会が持てたという事がありがたい。(古い人間なのか、動画での説明ってなかなか味気なくって全く頭に残らない。)
そし . . . 本文を読む
令和元年10月6日(日)
この日3か所目は、藤原宮跡で行われた第200次調査の現地説明会である。さすがに3ケ所目ともなるとちょっと頭の中が混乱気味になってしまう。
しかも、見た目は基壇跡と溝ばかりなので、地味な印象を受けるが、成果としてはこれまで空き空間として考えられていた大極殿の北方に空間を南北に区切る回廊の存在が明らかになったということで、これまで考えられてきた大極殿院の姿が書き換え . . . 本文を読む
令和3年10月9日(土)
まだまだ暑い10月、好天の中で行われた興福寺の東金堂院の門と回廊の発掘調査の現地見学会である。興福寺は、1998年以来、寺領の復元、整備を進めており、この発掘調査もその一環として奈良文化財研究所が調査を実施したものである。過去、何回か発掘調査の説明会には行っており、ブログにも投稿しているはずである。
場所は、現在国宝に指定されている興福寺の東金堂の西側で、調査区 . . . 本文を読む
令和元年10月6日(日)
この日、二つ目の現地説明会。先の説明会が「藤原京五条八・九坊」であったので、そこから、東へ通りを二つ動いたことになる。
現在の場所は、奈良県立医科大学のグラウンドで、二年前に行われた今回の調査地の北側の発掘調査の現地説明会にも参加しているので、二回目ということになる。
今回も二年前の時と同様に、盛り土を高台に整備して、調査区全体が鳥瞰できるようになっていた。 . . . 本文を読む
令和元年10月6日(日)
この日は、奈良の橿原市で藤原京に関連する発掘調査の説明会が三つ同時に開催されるため、朝早くから、現地に赴き説明会三昧の一日となった。
まずは、畝傍山の北側、「藤原京右京五条八・九坊、慈明寺遺跡」から参加することにした。ここは、将来的には奈良県立医科大学の新キャンパスになる予定であり、そのための発掘調査となった。
今回の発掘調査では、藤原京の遺構と一緒に弥生時 . . . 本文を読む
令和元年5月11日(土)
大和郡山市役所の新庁舎建設工事に伴う発掘調査。ここは郡山城の三の丸にあたる場所である。郡山城については、天正六年(1578)ごろ、奈良を支配していた戦国大名筒井順慶の構築に始まる。その後、豊臣秀長、増田長盛といった豊臣系の大名が入城し、郡山城の大部分がこのころに造られている。
その後、江戸時代になり、本多氏、水野氏などの大名が転封し、享保年間に柳沢氏が入り、幕末に至 . . . 本文を読む
令和元年6月30日(日)
奈良県香芝市にある平野塚穴山古墳の発掘調査があり、前日には、二上山博物館で大規模な説明会があり、その翌日現地公開が行われた。
当日は、雨の降る中、近くの神社で受付をして、隣接する正法寺というお寺で並んでました。こんな雨の降る日あんまり人は来ないだろうと思っていたのですが、豈はからんや、かなりの人が順番を待っておりました。
平野塚穴山古墳は、7世紀後半の終末期 . . . 本文を読む