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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

81歳いまだまんが道を・・・

2015-09-22 08:57:16 | 読書日記
「81歳いまだまんが道を・・・」
 藤子不二雄Ⓐ著 中公文庫

 最近、奥さんに連れられて街に出ることが何度かあり、買い物の間、時間つぶしにジュンク堂書店に立ち寄ることが多く、そこで本を物色中に本書を発見!これは面白そうという訳でお買い上げとなった。僕自身は、小学館の学年誌をずっと買ってもらっていたこともあり、「ドラえもん」はずっと読んでいたなあ。ただ、単行本を集めるほどではなかったけど。

 どうも僕は、トキワ荘の頃の話を書いた漫画家の自伝等が好きみたいで、手塚治虫や石ノ森章太郎などが書いたものも読んでいたりする。本書も同様で、藤子・F・不二雄こと藤本弘との出会いから、手塚治虫「新宝島」との出会い、トキワ荘での生活、そしてコンビ解消から、現在に至るまでは平明に綴られている。「78歳いまだまんが道を・・・」を改題、81歳までの分を追加したものである。もとは、読売新聞に連載していたものをまとめたものであるそうだ。

 本書の中でも、書かれているが、手塚治虫の「新宝島」との出会い。冒頭のケンイチくんが車に乗っているシーン。車が飛び出してくるのではないかと思ったといい、その衝撃が漫画家を志すきっかけとなったというエピソードは有名で、この「新宝島」が当時の読者に与えた影響力は大きかったようで、石ノ森章太郎や赤塚不二夫、矢口高雄などといったそうそうたる漫画家がその時の感動を述べている。一つの漫画が大きな影響を与え、そこをきっかけに、漫画というもはや日本文化を代表するジャンルが成長し始めるのである。そういうのを生の記録として手に取って読めることが凄いことだよなあと思う。

 そして、1953年、足塚不二雄名で1953年に「UTOPIA最後の世界大戦」を発表する。この本は、非常に稀覯本となっているそうで、「ビブリア古書堂の事件手帖」にも題材として使われている。その後、東京へ上京し、しばらくしてトキワ荘に入居するのだが、これが、後に「漫画家の梁山泊」とよばれたほど、漫画界の創世記を担った漫画家を多数ここから輩出された。手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、寺田ヒロオなどそうそうたるメンバーである。僕が、この時の話が、好きなのは、いかにも大志を持った青年たちが集まってきて、切磋琢磨して成長していくという話以上に、ここから、漫画という文化が飛翔していくそういったドラマを目の当たりにできるというところなんだと思う。手塚治虫という巨人を目の前にして、その姿から何か力を得、また、寺田氏から日常の生活の支援を得るという光と影の部分がはっきりと見えるところがいいのかもしれない。
 ここに、一つ漫画文化の神話が形作られていくのだろうなあ。

 最後の合作作品と言われる「おばけのQ太郎」、「ゼロ」と「化け猫」と「安倍公房」から生まれたとのこと。最後の安倍公房が意外。直接作品が影響したということではなく、その小説を読んでいてQという字が目に入り、Q太郎と名付けたらしい。おばけのQ太郎ぐらいから、僕の実体験と重なってくる。おばけのQ太郎は、白黒で放映されていた第1作を再放送で見ていたし、「新おばけのQ太郎」と銘打った2作目は当時幼稚園児でリアルタイムで見ている。その当時、飛び出す絵本というのが流行っていて、おばけのQ太郎もあり、たまたま、幼稚園の送迎バスから、本屋さんに売っているのを見つけ、父親の無理を言って買ってもらった記憶がある。

 「怪物くん」などもたぶん再放送などで見ていたんだと思う。どちらかと言えば、テレビアニメで藤子不二雄の作品と接する機会が多かった。「ドラえもん」も今の朝日放送ではなく、読売テレビでやっていたと記憶している。インパクトがあったのは、「魔太郎が来る!」ちょうど連載されていたのが少年チャンピオンで、当時のチャンピオンは、「ブラックジャック」「がきデカ」「750ライダー」「ドカベン」「マカロニほうれん荘」「エコエコ・アザラク」などの漫画史上輝く黄金時代。「魔太郎が来る!」のフレーズ、「この恨みはらさでおくべきか。」は今でも脳裏に残っているフレーズ。同じ時期、少年サンデーでは、プロゴルファー猿」が連載されていた。

 大学生の頃には、「まんが道」がブームになっている。そのころに、コンビ解消となり、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Ⓐに別れて活動するようになった。

 その他にも著名な藤子不二雄Ⓐ作品のエピソードが書かれていて、自分の実体験、成長と重なる部分があり、懐かしかった。僕が子どもの頃は、漫画がコミュニケーションのツールであったし、みんなが知っている漫画というのがあった時代であった。ジャンルが細分化していき、もはやそういう漫画を我々が持つことが出来なくなってきているような気がする。そして、昔と今と違うのは、子どもに対するアピール力というか、生き方を教えるというかそういう力が昔の漫画にはあったような気がする。面白い+何か生き方考え方に影響を与えるようなものであったりする。今の漫画に全くないという訳ではないが、何かが違う気がする。

 出版界もそういう懐の深さがなくなっているのかもしれない。昔、ジャンプは「ど根性ガエル」「マジンガ―Z」と一緒に「はだしのゲン」を連載していた。売れる漫画だけではなく、売れそうにないけど何かを考えさせてくれる漫画も一緒に連載していた。(当時のジャンプでは、ぼくは「僕の動物園日記」(こんな題名だったかな)が好きであった。)

 藤子不二雄Ⓐ、御年81歳、まだまだお元気で頑張っていただきたい。
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1 コメント

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Unknown (ゆり)
2021-05-05 07:13:43
トキワ壮の手塚大先生の部屋を二人でまんが道転校生からひっしは2回目そう出版社はかきかけの原稿もむしり取る涙続編は仲間はライバル寺さんはサンデーから筆をおくみんなときわ出て人気まんが家そう続編まんが道夫のラーメン屋には頑張れーでもあれからはなつかしい思い出なんどまんが道夫はひっこし赤塚不二夫と同じとあら大変そうまんが道夫頑張れとまんが増刊号で涙ポロリ感動まんが道
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