佐紀陵山古墳と佐紀石塚山古墳の間を通る道が、今度は佐紀高塚古墳の後円部の先端を通ることになるが、ここは、左折して。佐紀石塚山古墳の前方部、拝所の前を横切り、佐紀高塚古墳の前方部にある称徳天皇陵の拝所に向かうことにした。
佐紀高塚古墳(称徳天皇陵)の拝所は、周囲が水田に囲まれていて、非常に景色のいい場所にある。
この拝所は、春から秋にかけては、田園風景が絵になる。奈良にある陵墓 . . . 本文を読む
佐紀石塚山古墳から道を挟んでお隣にある佐紀陵山古墳。垂仁天皇皇后日葉酢媛命の「狭木寺之陵」として、宮内庁が管理している。ちなみに両古墳の間のある道で南を向いて左側にある古墳である。
先の「佐紀石塚山古墳」の所でも書いたが、両古墳が形成している谷のような場所を細い車一台通れるかというような細い道を道の両側の松並木や木々の間から覗く墳丘を眺めながら歩くのは何ともいえず楽しい。ただ惜しむらくは、墳 . . . 本文を読む
五社神古墳から南へ、近鉄京都線を越えたすぐの所に佐紀石塚山古墳がある。今回は、石塚山古墳に行く前に、古墳の北側にある陪冢を探してみる。石塚山古墳には、陪冢と考えられる方墳が三つあり、そのいずれもが成務天皇陵い~は号陪冢として、宮内庁の管理下に置かれている。
い号陪冢が、とにかく見つからない。ぐるぐると周辺を探し回っていると、民家の裏側にあることが判明。
これが、い号陪冢、一辺35m . . . 本文を読む
押熊八幡神社から、中山瓦窯跡を探すも見つけることができず、県道に戻り、次の目的地である五社神古墳(神功皇后陵)をめざすことにした。あとで考えると結構な距離を歩いていて、3kmほどの距離になる。途中、小腹が空いたので、お気に入りの来来亭で昼食を取った。
そして、奈良大学付属高校を過ぎたあたりから、田んぼの中を通っていくと、五社神古墳(神功皇后陵)の西側の外堤に登ることができる。
外堤 . . . 本文を読む
石のカラト古墳より、西へ万葉の小径を500mほど歩いていくと、新興住宅地とマンションの間に公園と思われる緑地帯がある。よく見ると、公園にしては起伏があり、所々に写真のようなコンクリートで何かを表示しているような場所がある。
緑地の北端には、小さな覆い屋があった。中を覗いてみると、押熊瓦窯跡と書かれた説明板があり、その横に1基、復元された瓦窯があった。
説明板によると、押熊瓦 . . . 本文を読む
纒向石塚古墳からJR桜井線を越えて、東へ向かう。県道を越えて少し歩くと小さい川のほとりに垂仁天皇纒向珠城宮跡と言う石碑が建っている。
数年前に来た時は、別の所にあったような気もするのだが、台座が新しいので、もしかしたらここへ移されたのかもしれない。ちなみに奥に見える森は渋谷向山古墳(景行天皇陵)である。
この垂仁天皇纒向珠城宮跡については、あくまで伝承地であり、遺跡があったわけでは . . . 本文を読む
近鉄京都線高の原駅を降りると、急に近代化した街並みが目の前に開ける。人工的に丘陵を切り開いた街で、駅の前にはロータリーがあり、その先にはショッピングモールが建ち並んでいる。目的とする石のカラト古墳のある所をめざして、西へ向かって歩いていくと、左手には団地が、右手には一戸建ての家が建って、ずっと続いている。
奈良市の北部と言っても、ほとんど京都府木津川市ではある。なぜか石のカラト古墳のある場所 . . . 本文を読む