「奈良市北部の古墳をあるく」と題した投稿もかなり溜まってきたので、まとめてみました。
奈良市北部の古墳をあるく① ~石のカラト古墳~
奈良市北部の古墳をあるく② ~押熊瓦窯跡・押熊八幡神社~
奈良市北部の古墳をあるく③ ~五社神古墳(神功皇后陵)~
奈良市北部の古墳をあるく④ ~佐紀石塚山古墳(成務天皇陵)~
奈良市北部の古墳をあるく⑤ ~佐紀陵山古墳(垂仁天皇皇后日葉酢媛命 . . . 本文を読む
「奈良市北部の古墳をあるく」もやっと最終章。聖武天皇陵と仁正皇太后陵を取り上げることにする。実は、聖武天皇陵などについては、何回かこのブログで取り上げているのだが、一連のシリーズでもあるので、取り上げることとしたい。
聖武天皇陵は、正式には奈保山南陵といい、仁正皇太后陵は、奈保山東陵という。これまでも書いてきたが、奈良時代の、とりわけ前半は、この聖武天皇まで、どうやって皇位をつないでいくのか . . . 本文を読む
ヒシアゲ古墳のすぐ南にコナベ古墳がある。
コナベ古墳には、7基陪冢が現存しているが、そのうち2基は、隣接する航空自衛隊幹部学校の敷地内にあるため、見学することができない。
そのため実際に、その姿を見ることができるのは、コナベ古墳の西側、水上池との間に縦に並ぶ5基の陪冢だけである。は~ほ号陪冢はコナベ古墳側から、へ、と号陪冢は水上池側からの方が見つけやすいように思う。
それでは、それ . . . 本文を読む
ヒシアゲ古墳の周辺には陪冢と考えられる古墳がいくつか残っている。拝所の前に1基と後円部の北側に広がる雑木林の中に4基、墳丘の東側、航空自衛隊幹部学校に接する部分に2基となっている。陪冢い号は、コナベ古墳の陪冢とされたり、陪冢ではなく独立した古墳ではないかとも言われている。
ヒシアゲ古墳の周辺の陪冢は、墳丘は宮内庁が管理しており、墳丘の周辺についても発掘 . . . 本文を読む
ウワナベ古墳から、国道バイパスを渡って、東南方向に進むと、不退寺と言う古寺にでる。奈良らしい素朴な感じのするお寺で、周辺は住宅が立ち並んでいるのだが、このお寺の周辺だけは、いまだに昔からの景観を残している。
不退寺は、「不退転法輪寺」と言う寺名が略されて不退寺と呼ばれるようになったと言われ、その創建は古く、平安時代の初期、奈良で亡くなった平城天皇が、嵯峨天皇への譲位後、この地に「萱の御 . . . 本文を読む