安部文珠院を出て、南の方を向いて古い町並みの中を歩いていくと、少し大きな公園がある。
ここが安部寺跡であり、現在は史跡公園として整備されている。僕が訪れた時は、公園の中で子どもたちがキャッチボールなどしていて、牧歌的な、ゆったりとした雰囲気を醸し出していた。
公園の中には、いくつかの基壇であろう高まりがあるが、その中でもひときわ大きな高まりがある。仲麻呂屋敷という名称が伝わっている . . . 本文を読む
鳥見山周辺も古墳巡りもいよいよラスト。安部文珠院の境内にある文珠院西古墳に到着。駐車場の方から境内に入ると、左手すぐの場所にある。
万葉歌碑はいいとして、境内の案内の看板はどうなのかなあ。
南向きに開口しており、そこから羨道を通って中に入っていく。羨道の石は表面を平らに加工した切石を四石一段に配置している。文珠院西古墳については、かなり早くから石室が開口されており、室町時代の . . . 本文を読む
艸墓古墳から安部文珠院へ向かう途中に、住宅街の中を北の方に向かって奥の方へ入っていくと、土舞台と書かれた看板があり、階段を登っていくと、丘の上をきれいに平らに整地された場所に出た。
土舞台と呼ばれるところで、日本の芸能発祥の地と伝えられるところである。
解説によると、推古天皇の頃、百済から渡来した味摩之という人物が、呉に学びて、伎楽の舞を得たと聖徳太子に言ったところ、太子が桜井の地 . . . 本文を読む
艸墓古墳から、元の道路に戻り、住宅街の中の坂道を登っていくと、マンションがあり、突然、安部文珠院の門が現れる。そこから駐車場を通って境内の中に入っていくことになる。
安部文珠院は、日本三文珠の一つとされ、受験シーズンには、参拝客で賑わうのだが、この時はまだ、少しシーズンに早いのかあまり人はいなかった。駐車場のすぐ横に文珠院西古墳があるのだが、真打は最後に置いておいて、境内にあるもう一つの古墳 . . . 本文を読む
谷首古墳から、上之宮遺跡のある住宅地を抜けて、奈良県立奈良情報商業高校のフェンス沿いに歩いていくと、グラウンドのあたりに安部文珠院への案内板があり、それに従って、曲ると民家の間に艸墓古墳の小さな案内がある。
民家が立て込んでいる中を、人一人ぐらいしか通り抜けられないような細い道を入っていくと艸墓古墳の開口した横穴式石室が見える。古墳のすぐ横に民家の玄関があり、ちょっと複雑な気分にはなっ . . . 本文を読む
谷首古墳から少し東へ住宅街の中を歩くと小さなポケットパークのような公園があった。
これが、上之宮遺跡公園である。この遺跡は、1986年に、この辺りの区画整理事業に伴う発掘調査を行った際に見つかったものである。おぼろげながら、聖徳太子の宮跡が見つかったという新聞やテレビの報道があったことをおぼろげながら覚えている。
この時には、掘立柱建物や掘立柱塀、園地状遺構、石組み溝、石敷きなどが . . . 本文を読む
メスリ山古墳から北に向かって、新興住宅地の中に入っていくと、介護施設の横に、こんもりとした森がある。これが谷首古墳で、南側の草むらの中に、横穴式石室の入り口が開口している。
写真を見てお分かりの通り、船頭の天井石が一石崩れているので、一瞬、入るのをためらうが、ここを越えると比較的羨道は高く、わずかに身をかがめるだけで入っていけた。
谷首古墳は、一辺40m、高さ約8mの方墳で、両袖式の . . . 本文を読む
メスリ山古墳の前方部の裾の方にコロコロ山古墳がある。もともとは、この場所にはなく、1984年に土地区画整備事業の際に発見され、翌年に発掘調査が行われ、1987年に現在の場所に移築保存されている。
古墳全体は金網のフェンスに囲われており、中に入ることはできないようになっている。(ただ、訪れた時は、フェンスの鍵は開いていたのだが、勝手に入ることもよろしくないかなと思い、入っていない。)
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秋殿南古墳から県道に戻って、西へ進む。桜井。吉野線との交差点から、県道から離れて集落の方へ入ると途中、談山神社の一の鳥居かあり、その前を横切っていくとメスリ山古墳の墳丘が見える。
メスリ山古墳は東西に横たわるように造られているので、ちょうど後円部が真正面に見える形だ。
メスリ山古墳の墳丘に入っていくには、途中から古墳の北側に回り込んで、高田会所から八坂神社に入り、神社の境内から本殿の横を . . . 本文を読む
こうぞ1号墳のある森をでて、再びもとの県道37号線にでたあと、少し西に進んで、桜井中学校を越えたところで、再度民家の間を抜けて山の方へ向かう。途中、民泊をしている民家があり、農作業をしているおじさんに声をかけられながら、山裾を進んでいくと、桜井市教育委員会の秋殿南古墳の解説板があった。
意外とこの古墳はすぐ見つかるのかとおもいきや、ことはそう簡単にはいかない。
この案内板を通り過ぎ . . . 本文を読む
こうぜ1号墳の東石室を見学した後、今度は西石室へ向かう。
これも、竹藪の中の道なき道を進んでいくのだが、なんとなく道がカーブしているような気がする。ここもアスレチックばりに斃れた樹をまたぎ、樹の幹や枝をつかみながら進んでいくことになる。そうして、10分もかからないうちに西石室の前に出た。
周りは、草ぼうぼうだから、これも見逃しそうなところではある。正直、ひと一人通れるか通れな . . . 本文を読む
舞谷2号墳を見学した後、ふたたび元の道に戻り、少し西へ向かった後、新たに別の尾根をめざして、竹藪の中にはいっていった。
竹藪に入ると、すぐに足場の悪いところがあるが、注意しながら奥へ入っていく。ここからは、古墳探訪などという生易しいものではなく、ほとんどガチのアスレチックである。かなりの傾斜のある道(?)を木の幹や枝などをつかみながら登っていった。目印にビニールひもでマーキングがさ . . . 本文を読む