近鉄富田林駅を下車、外環状線を渡って、府営緑が丘住宅の団地を抜け、少し山林の中に入ったところにお亀石古墳と呼ばれる古墳があると書くと非常に簡単なのだが、案外古墳へたどり着くのは難しい。
古墳へのアクセス道が途中でなくなり、看板から丘の斜面をどう上がっていいのやら戸惑ってしまった。途中、麓にある池の所で、魚釣りをしていたおっちゃんに、ここ登って行ったらええねんとにこやかに言われたが、枯れ葉で道 . . . 本文を読む
川原寺跡から南に田んぼの中を歩いていくと橘寺の西門にでる。この辺りは、飛鳥でもまだまだ懐かしい田園風景が残っており、秋には田んぼの畔に彼岸花が真っ赤な花を一面に咲かせている。
ちょうど、橘寺を訪れた時は、彼岸花が咲いている時期であった。橘寺は、聖徳太子こと厩戸皇子が生誕した場所と伝えられ、厩戸皇子の父、用明天皇の離宮橘宮を寺院に改めたとの伝承がある。
橘寺の創建については、明らかでは . . . 本文を読む
東大寺の転害門を見学した後、京街道を南へ行くと天平倶楽部という如何にも由緒ありげな日本料理のレストランがある。この地は、江戸時代の終わりから明治、大正、昭和にかけて、對山楼という高級旅館があった。伊藤博文や山県有朋などの著名な政治家などが訪れている。そうした中、1895年(明治28)年 . . . 本文を読む
今在家のバス停から、少し東へ入っていくと五刧院という小さな華厳宗のお寺がある。このお寺は、鎌倉時代東大寺の再興に尽力を尽くした重源が開基。ご本尊は、五刧思惟阿弥陀仏坐像である。五刧思惟阿弥陀というのは、あまり聞きなれないが、阿弥陀仏がまだ、宝蔵菩薩であったころ、人々を救おうと菩薩行に励み、五刧という非常に長い期間、修行をされ、ついに菩薩から阿弥陀如来になられたときの姿を表現しているものである。ち . . . 本文を読む