鍋塚古墳から南へ歩いていくと、兵家という地名のついた新興住宅地がある。住宅街のはずれの田園地帯の中に、芝塚1号墳の姿がそれとなしに見えるのだが、まずは住宅地の中を通って山の麓にあるはずの丸子山古墳を探してみる。
住宅地の中、山と接するあたりを行ったり来たりしてみるが、住宅しかなく古墳らしき姿が見えない。
何度か行ったり来たりしているうちにちょうど家を建築している所の裏に古墳らしきも . . . 本文を読む
塚畑古墳の見学を終えたのち、再び西に向かって歩いていって、二上山や葛城山が属する金剛山地に沿って、南北に走る山麓線まで出ると、道路沿いに鍋塚古墳の丸い墳丘が見える。
鍋塚古墳は、直径約46mの円墳で、出土している埴輪などから5世紀の前半の築造と見られている。先ほど紹介した塚畑古墳に先行する古墳で、この周辺で最初に登場した大型の古墳であると言われている。埋葬施設などは不明である。
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今回から、奈良盆地の西南部、金剛山地の東麓に所在する葛城市にある古墳を巡って行こうと思う。この辺りは、古代豪族の葛城氏の地盤としていた所と言われ、古墳時代の中期から後期、終末期に至るまでの古墳が数多くある。
ちなみに葛城氏は、葛上群、葛下郡を本拠とした豪族で、葛城襲津彦を祖とする。ちなみに葛城襲津彦は、4世紀の人物として、最初の実在した可能性のある人物として知られている。代々大王家と姻戚関係 . . . 本文を読む
本能寺を出て、寺町通をぶらぶらと古書店や鳩居堂などを眺めながら歩く。鳩居堂では、手紙バイキングなどとお洒落なことをしていた。そういえば、手紙というものを随分と長いこと書いていない。実家を出た当初は、母などからもらったりしていたのにね。メールやラインなどに置き換わってしまったのは、今になってみると非常に残念な気がする。手紙というツール出なければ伝えられない気持ちというものもあっただろうに。
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三条通を越えると寺町通はアーケード街になる。和菓子屋や古書店などこれまたいろいろな店舗が軒を並べるのだが、所々にシャッターが閉じたままになっているところもある。
昔に比べると人通りも少なくなったような気がする。学生の頃は、この辺りは観光客や修学旅行生でごった返していたのだが・・・。もしかしたらコロナ禍が終わって観光客が帰ってくれば、元の通りになるのかもしれない。
そして、寺町通を下るとす . . . 本文を読む