奈良県下に数ある古墳の内でも到達するのが困難と言われる難関古墳の一つ、奈良県葛城市兵家にある夫婦塚古墳に行ってみた。 まず、起点になるのは、道の駅かつらぎ、ここから夫婦塚古墳にアタックすることになる。 夫婦塚古墳に少し触れると、葛城山系の山中、標高約290mほどのところにあり、7世紀の中頃から後半に造られた横穴式石室を持つ古墳であり、墳形は円墳もしくは方墳で、径12~14mとされる古墳である。 . . . 本文を読む
今回は、近鉄の室生口大野駅のすぐ北側にある向坊1号墳を紹介。 この古墳については、駅のホームからも古墳の姿を望むことが出来る。これだけ駅前にある古墳というのも珍しい気がする。 古墳へは、室生口大野駅を出て、少し線路に沿って西へ向かい、線路の下をくぐって、反対側にすぐ右に曲がると、変電所の前を通って古墳のある広場に出ることが出来る。(はじめこの道がわからなくて、少し北に上がってから、変電所の上 . . . 本文を読む
淳和天皇御母藤原旅子陵から府道142号線に戻り、さらに国道9号線を歩いていくと、樫原廃寺跡史跡公園があり、さらに歩いていくと天皇の杜古墳が道路に面して所在している。 古墳の周りは史跡公園として整備されていた。 「史跡天皇の杜古墳」と刻まれた石標があり、そこから公園の中に降りることが出来る。 天皇の杜古墳というちょっと変わった名称は、かつてこの古墳が、平安初期の天皇、文徳天皇の御陵という伝承に基 . . . 本文を読む
渋谷向山古墳の前方部の周濠の道を挟んで向かいに上ノ山古墳がある。 渋谷向山古墳が東西を主軸にしているのに対して、上ノ山古墳は、主軸を南北に置いており、渋谷向山古墳と直交するような位置関係に所在している。 そして、渋谷向山古墳の周濠が、前方部の北側がかなり狭くなっているが、航空写真などを見ると、もう少し周濠の幅が広がっていてもよさそうな感じがする。 実際、発掘調査で上ノ山古墳の外堤と渋谷向 . . . 本文を読む
今回から、天理市にある柳本古墳群と大和古墳群に属する古墳を紹介していきたいと思う。 ちょうどなら芸術文化村で「山辺の古墳文化 大和古墳群と柳本古墳群」の企画展が行われており、それの連動企画であるというわけで。 渋谷向山古墳は、ちょうど国道169号線が、古墳のすぐ西側を通っており、非常にわかりやすい古墳である。また、古墳の東側は、古道、山辺の道のルートとなっている。 また、渋谷向山古墳 . . . 本文を読む
南都六大寺の一つ、大安寺から北へ150mほど歩いたところに杉山古墳があり、現在は、大安寺の旧境内の一部として、杉山古墳と大安寺の瓦を焼いた瓦窯跡である杉山瓦窯跡が公園として整備されている。
杉山古墳は、古墳時代の中期後半、5世紀の後半に築造された墳丘長約150mの前方後円墳で、先に紹介した野神古墳、大安寺墓山古墳とで大安寺古墳群を構成している。
もともとは現在は埋め立てられているが . . . 本文を読む
JR奈良駅の東側にある駅前広場の接して南北に通じている道路を南へ20分ほど歩き、左手にあるUR桂木団地を入ったところに、ポケットパークがあり、その中に柵に囲まれた場所がある。これが野神古墳である。
古墳と言っても、墳丘の上に小さな祠があるのみなので、古墳と言われないとたぶん古墳とはわからない様子である。
一応、前方後円墳と言われているが定かではない。現在は後世の削平をかなり受けてお . . . 本文を読む
西乗鞍古墳から道を挟んだ向かい側、天理市の浄水場の奥に二つの丘の高まりがみられる。
これが、小墓古墳と言われる古墳で、6世紀の前半、古墳時代の後期に築造された前方後円墳である。墳丘は三段築成であり、現在は全長80mほどであるが、本来は、周濠等を持つ全長95mを越える古墳であったと考えられている。航空写真などを見ると、墳丘の周りに周濠の跡が残っているのがわかる。
小墓古墳は、過 . . . 本文を読む
東乗鞍古墳から元来た道を戻って駐車場の方から西側に向かって歩いていくと、田んぼの中に西乗鞍古墳の姿が徐々に見えてくる。
西乗鞍古墳は、全長118mの二段に造られた前方後円墳である。航空写真などで見てわかるように、後円部に比べて前方部が大きく広がっており、古墳時代の中期の後半、5世紀末に築造されたと考えられている。
途中、天理環状線に交わり、そこで左折をして、南へ少し下ると公衆トイレ . . . 本文を読む
峯塚古墳からは、再び元の道に引き返したのち、杣之内の集落の中を横切って、2022年3月に開業したばかりのなら芸術文化村に立ち寄って、昼食を取る。
以前、ここに来た時に、これからめざす東乗鞍古墳の3D体験をさせてもらった。なかなか巨大な横穴式石室で驚いた記憶がある。周辺の古墳に関する企画展なども開催されており、これからちょくちょく立ち寄ることになりそうな施設ではある。(今は、「山辺の古墳文化― . . . 本文を読む
いよいよ峯塚古墳の石室に潜入することになる。この古墳の石室に入るためには懐中電灯かライトを手にして入っていく必要があるのは言うまでもない。
石室の入り口の辺りは少し土砂が流入して狭くなっているが、そこだけ用心すればあとは少し身を屈めるだけで進んでいける。
羨道部は、長さ6.65m、幅2.28mと長く、側壁は、一石を並べて構成されている。
羨道を抜けると玄室の広い空間に出る . . . 本文を読む
保昌塚古墳から天理環状線を北東の方角を向いて歩いていくと道路脇に峯塚古墳の説明板があった。
こんな場所にあるが、近くに峯塚古墳の姿はどこにも見当たらない。ここが峯塚古墳の侵入路の出発点にあたると考えた方がいい感じ。
天理環状線から右に折れて、コンクリートで舗装された道を歩いていくことになる。
しばらく歩くと道が二手に分かれる。ここは左に曲がる。
遠目のお地 . . . 本文を読む
西山古墳から天理大学クラブハウスの横をすり抜けるようにして構内を出ると、天理環状線がちょうど目の前に走っており、道沿いにある天理高校のグラウンドの前に小さな可愛らしい形の良い土饅頭のような古墳が眼に入った。
近寄ってみると何の説明板もなく、畑の中にポツンとある。塚の腰高な感じから古墳であることは間違いないと思われるのだが・・・。
改めて奈良県の遺跡地図を確認すると、径13mの . . . 本文を読む
塚穴山古墳を出て、隣接地に所在する西山古墳を訪ねる。(西山古墳については、過去ブログでも取り上げている。「天理市の古墳 西山古墳」)
前方部側にあるフェンスを開けて墳丘に立ち入ることにする。そういえば、以前、西山古墳を訪ねたときは、墳丘に登っていいかわからなくって、古墳の周囲を歩く程度にとどめた。
今回は、前方部から一気に後円部まで縦走することにしたい。
フェンスの傍に史 . . . 本文を読む
天理市の天理大学を中心としてその周辺に杣之内古墳群があり、その中の古墳で、石舞台古墳に匹敵するほどの巨大な横穴式石室を有する塚穴山古墳を見学に行くことになった。
塚穴山古墳は天理高校の敷地内にあり、古墳を見学する際には、天理高校の事務所に連絡を入れて、事前に承認を得ることが必要である。今回は、天理高校の事務室に連絡を入れたうえで、鍵を借りる。
しかし、天理高校の校舎の立派なのにはび . . . 本文を読む