続いて訪れたのがコナベ古墳。この古墳も墳丘の長さが200mを超える巨大古墳である。お隣のウワナベ古墳よりは古い古墳のようだ。 航空写真等で見ると、墳丘の形がずんぐりむっくりとしていてあまり良くない気がする。 コナベ古墳と自衛隊の奈良基地の間の細い道を歩きながら、墳丘を観察。前方部と後円部、その間にある造出しが確認できる。 この日はそうでもなかったのだが、コナベ古墳の周濠の水の色がいつも白 . . . 本文を読む
夏は朝墳活という訳で、朝5時に家を出て、今回は佐紀盾列古墳群の東群にあたるウワナベ古墳やコナベ古墳などを見て回った。 朝早い近鉄電車は普通電車しかなく、各駅停車でゆっくりと目的地へGOGOである。こんな時間でも、意外と電車に乗っている人は多く、これから朝練に行くであろう高校生や仕事帰りのような若者たちが結構いた。ただ、こんな早くから古墳の写真を撮りに行こうという人はいない。昆虫採集の子どもはいた . . . 本文を読む
朝墳活もいよいよ最終編。崇神天皇陵と治定されている行燈山古墳である。 国道169号線から拝所までの参道が少し距離があるのだが、松の木や両側にあるアンド山古墳、南アンド山古墳といった陪冢とされる古墳を眺めながら、砂利道を踏み歩いていくのが気持ちがいい。 これまで数多くの古墳を見てきたけど、行燈山古墳の景観は、その中のBEST5には入ると思う。青い空と白い雲、水量豊かな周濠、緑に覆われた墳丘の姿に . . . 本文を読む
渋谷向山古墳の北側に隣接する上の山古墳へ向かう。※この辺からは天理市に入るのだが、ややこしいので引き続き「朝墳活IN纏向」の題名を使うことにする。 上の山古墳は、全長144mの前方後円墳で、渋谷向山古墳と主軸が直交する形で築造されている。 現在は、景行天皇陵い号陪冢として宮内庁が管理しているほか、西側のくびれ部分には、式内社水口神社がある。 また、古墳の西側と国道の間はポケットパークのように整 . . . 本文を読む
渋谷向山古墳の拝所に到着。時刻は9時を少し過ぎたぐらいだ。しかし、かなり気温が上がってきている。太陽が昇り、徐々に陽ざしがきつくなってきたぞ。 渋谷向山古墳については、現在、宮内庁が第12代の天皇、景行天皇陵として管理をしている。そのため古墳の詳細はまだまだ分からない所が多い。ただ、近年、宮内庁が部分的な発掘調査を行っており、その結果、前方部は3段、後円部は4段に築造された前方後円墳であると . . . 本文を読む
小川塚西古墳、サシコマ古墳などを眺めつつ田園地帯を歩いていくと、今度は同じく水田の中に巻野内石塚古墳の姿が見える。 この古墳については、これまで見てきた小古墳とは違って、古墳時代後期の古墳ではなく、3世紀内の築造の可能性も取り沙汰されている古墳である。 後世の改変もあるが、確かに見る方向によっては、円墳ではなく前方後円墳にも見える。 また、この古墳の周囲を固めている石垣についても、葺石を転用し . . . 本文を読む
ホケノ山古墳から箸中の集落を抜けて、渋谷向山古墳に向かう道は、緑の水田の中を歩いていくことになるのだが、朝のこの時間は、まだそれほど気温が上がっておらず、また水田の上を通る風が水田に稲の波を作って渡っていくのが非常に清々しく、涼感があり、昔からお気に入りの風景である。 【北口塚古墳】 またこの道の両側には、それほど大きくない古墳が水田の中に浮かんでいる。 ホケノ山古墳のすぐ北には、北口塚古墳が . . . 本文を読む
箸墓古墳をぐるっと一周をした後、大池の傍まで近づいて箸墓古墳の全景を写してみた。 この辺りから見る箸墓古墳の姿が一番きれいだなあと思う。 古墳にもどうやら一番見せたい姿というものがあるような気がする。ただ、後円部の方がかなり高いので、頭でっかちのように見える。まあ、最初の古墳だからね。これから徐々に古墳の形も徐々にスマートになっていくのだろう。 さて、ここからは、ふたたび後円部のすぐ傍らを通 . . . 本文を読む
今回は、桜井市は纏向の周辺で朝墳活。朝、5時過ぎに我が家を出発し、JR万葉まほろば線の巻向駅に到着した時には、6時を過ぎていた。この駅で降りたのは私一人。 ここから、纏向遺跡の横を通って箸墓古墳に向かう。纏向版朝墳活の始まり、はじまり。 箸墓古墳をめざして、歩いていくと途中、国道169号線にあたる。国道沿いに少し歩いていくと、箸墓古墳に隣接する大池があり、この堤防を登っていくと、池の奥に箸墓古 . . . 本文を読む
平田梅山古墳の西側の丘の上に、欽明天皇の孫で、皇極・斉明天皇、孝徳天皇の母とされる吉備姫王の墓と伝えられるものがある。 この吉備姫王の墓とされる塚であるが、どうも古墳ではないという話である。幕末、平田梅山古墳を修陵した際に延喜式等の記載を参考に造り出されたのではないかと言われている。 ちなみに奈良県の遺跡地図では、石造物所在地とされており、古墳とは認識されていないようである。 この吉備姫王墓の . . . 本文を読む
高松塚古墳の壁画修理作業室の公開に久しぶりに当選した。見学が朝一番の組だったので、早い目に現地に行って、朝の早い、比較的涼しい時間帯にいくつかの古墳を見て回れればということで、現地に到着したのは8時半ごろであった。 見学の集合時間までは1時間ほどあるので、高松塚古墳の壁画修理作業室のある国営飛鳥歴史公園の敷地から北側にある平田梅山古墳に向かった。 公園を抜けて、少し歩くと田んぼの中に右にカナ . . . 本文を読む
奈良県下に数ある古墳の内でも到達するのが困難と言われる難関古墳の一つ、奈良県葛城市兵家にある夫婦塚古墳に行ってみた。 まず、起点になるのは、道の駅かつらぎ、ここから夫婦塚古墳にアタックすることになる。 夫婦塚古墳に少し触れると、葛城山系の山中、標高約290mほどのところにあり、7世紀の中頃から後半に造られた横穴式石室を持つ古墳であり、墳形は円墳もしくは方墳で、径12~14mとされる古墳である。 . . . 本文を読む
今回は、近鉄の室生口大野駅のすぐ北側にある向坊1号墳を紹介。 この古墳については、駅のホームからも古墳の姿を望むことが出来る。これだけ駅前にある古墳というのも珍しい気がする。 古墳へは、室生口大野駅を出て、少し線路に沿って西へ向かい、線路の下をくぐって、反対側にすぐ右に曲がると、変電所の前を通って古墳のある広場に出ることが出来る。(はじめこの道がわからなくて、少し北に上がってから、変電所の上 . . . 本文を読む
淳和天皇御母藤原旅子陵から府道142号線に戻り、さらに国道9号線を歩いていくと、樫原廃寺跡史跡公園があり、さらに歩いていくと天皇の杜古墳が道路に面して所在している。 古墳の周りは史跡公園として整備されていた。 「史跡天皇の杜古墳」と刻まれた石標があり、そこから公園の中に降りることが出来る。 天皇の杜古墳というちょっと変わった名称は、かつてこの古墳が、平安初期の天皇、文徳天皇の御陵という伝承に基 . . . 本文を読む
渋谷向山古墳の前方部の周濠の道を挟んで向かいに上ノ山古墳がある。 渋谷向山古墳が東西を主軸にしているのに対して、上ノ山古墳は、主軸を南北に置いており、渋谷向山古墳と直交するような位置関係に所在している。 そして、渋谷向山古墳の周濠が、前方部の北側がかなり狭くなっているが、航空写真などを見ると、もう少し周濠の幅が広がっていてもよさそうな感じがする。 実際、発掘調査で上ノ山古墳の外堤と渋谷向 . . . 本文を読む