ブログ内に天皇陵等についての記事が一定数増えてきたのでまとめてみました。 天皇・皇后陵 畝傍山周辺の御陵① ~神武天皇畝傍山東北陵~ 畝傍山周辺の御陵② ~綏靖天皇桃花鳥田丘上陵 畝傍山周辺の御陵③ ~安寧天皇陵・懿徳天皇陵~ 葛城の国の古墳めぐり(御所篇)① ~鴨都波神社・孝昭天皇陵~ 葛城の国の古墳めぐり(御所篇)⑩ ~孝安天皇陵・玉手駅~ 葛城の国の古墳めぐり ⑫ ~北花内大塚古墳(飯豊天 . . . 本文を読む
お酒の王様「月桂冠」で知られる大倉酒造記念館は大勢の観光客で賑わっているが、そのすぐ向かいにある松林院という小さなお寺がある。 お寺の前を通る人のほとんどが足を止めることのない様な寺院なのだが、実は、幕末、寺田屋の女将として、「竜馬がゆく」などの司馬遼太郎の幕末を舞台にした小説にしばしば登場するお登勢の墓があることで知られている。 ちなみに寺院は非公開なので、中に入ることはできない。隣の月桂 . . . 本文を読む
明治天皇陵から桓武天皇陵へは、元来た参道を引き返す途中に分岐点があり、桓武天皇陵への参道がある。 写真のような石標があり、これに従って北の方角に向かって歩いていく。 ここでも途中、参道の脇には石垣などに使われていたような石が林の中にごろごろ転がっていた。 ほとんど歩く人もいないような静謐な参道を歩いていくと、桓武天皇陵の制札が建っている。そこで右に折れて拝所に向かう。 桓武天皇は、第50代 . . . 本文を読む
JR桃山駅から次にめざす明治天皇陵は、線路を渡って東へほぼ一直線である。 参道の玉砂利の上を小さな音を立てながら前に進んでいく。この地はもともとは豊臣秀吉の居城伏見城があった場所である。そのためか少し上り坂になっている。 人もいない静かな空間になっている。しばらく歩いて、道のわきを見ると大きな石が何十個も無造作に置かれている。 石をよく見ると石を加工するための矢穴や家紋のような刻印がある . . . 本文を読む
今回は、京都は伏見にある天皇陵をいくつか探訪してみようという事で、まずは、JR桃山駅の近くにある光明天皇・崇光天皇の大光明寺陵に行ってみることにした。 JR奈良線桃山駅、ここから光明・崇光天皇陵までは、歩いて10分ほどである。 駅舎を出て、南へ歩き、どん突きを東へ、住宅街の中、線路沿いを歩いていくと、進行方向の右手に、陵墓への参道があった。 緩やかな石段を少し登った後、平らな道を歩いていく . . . 本文を読む
桓武天皇御母高野新笠陵を訪ねた後、陵のある丘陵の前を通っている府道142号線をもう一人の桓武天皇所縁の淳和天皇御母藤原旅子陵に向かって歩いて約30分、ひたすら比較的古くからあるような住宅地の中を歩いていく。周りの風景が急に竹林となり、雰囲気が変わったなと思うと左手に三ノ宮神社と呼ばれる神社があった。その参道の横の細道が、淳和天皇の御母藤原旅子の陵につながる参道である。 三ノ宮神社については、 . . . 本文を読む
春の桂坂古墳群の一般公開を見に行った帰りに、周辺の陵墓や古墳をいくつか見て回った。 桂坂古墳群の所在する場所は、京都市の西京区御陵大枝山町というところで、近年に開発されたニュータウンである。国際日本文化研究センターや京都大学の桂キャンパスも近くにある。 比較的新しい住宅地を抜けると、一気に周りの雰囲気は変わる。京都市といっても、かなり市街地とは雰囲気が違う。普通の少し田舎の風景になる。 小畑川沿 . . . 本文を読む
長慶天皇陵の参道から出て、南に行くとすぐに茅葺き屋根の古民家然としている畳屋さんがあった。 なんとも古風な佇まいに思わずシャッターを切る。 この畳屋さんから、お地蔵さんの辻を右に回り込んでいくと、角倉稲荷神社という小さな社の横、ちょうど長慶天皇陵の裏側ぐらいの場所に安倍晴明墓と伝わる石塔があった。 安倍晴明と言えば、近頃は平安時代最高のヒーロー、おそらく平安時代の人物の中で一番知られている . . . 本文を読む
嵐電の鳴滝駅から、帷子ノ辻駅で嵐山本線に乗り換え、嵐山方面に向かう。嵐電嵯峨駅で電車を下車、南へ少し歩くと右手に長慶天皇陵に向かう参道がある。 参道は結構長い。京都の市街地だとこれだけ長い参道というのはないが、少し外れたところにあるのでこれだけの敷地があるのかもしれない。 ちなみに長慶天皇という天皇はあまり知られていないかもしれない。南北朝時代の南朝の天皇で、後村上天皇から位を譲られたとする . . . 本文を読む
嵐電宇多野駅から文徳天皇陵の最寄り駅鳴滝へ向かう。宇多野-鳴滝間は、春の季節は、桜のトンネルを抜ける光景が見ることが出来るのだが、今回は、残念なことにその時期は過ぎていた。それでも新緑の林の中を抜けていく景色を見ることが出来た。 鳴滝駅に着いた。ここも閑静な高級住宅街が駅の前に広がる。 住宅街の中を西を向いて歩いていくと、参道の入り口に出る。 ここから、拝所までは少し距離がある。 細長い参道 . . . 本文を読む
三条天皇陵からは、西大路を下って、北野白梅町から嵐電に乗って宇多野で下車、光孝天皇陵へ向かう。 宇多野駅を下車、住宅街の中を歩くと程なく天皇陵の参道に出た。 ここも訪れる人もほとんどいない静かな空間になっている。京都も観光客でごった返しているので、こういう空間があるのがありがたい。 私の学生時代は、30数年ほど昔になるが、この辺りの下宿から通っている学生も結構いた。 さて、光孝天皇だ . . . 本文を読む
花山天皇陵から北に向かい、北大路道を渡って、平野通を北上し、二つほど交差点を越えて、左に入ると、三条天皇北山陵が見える。 ここも花山天皇陵同様に閑静な住宅街の中にあり、目立たないようにひっそりと訪れる人もないような様子であった。 三条天皇は、前回に訪ねた花山天皇の弟で、父は冷泉天皇で、母は藤原兼家の娘藤原超子である。 一条天皇の譲位を承けて、寛弘8(1011)年36歳で天皇となった。ちなみに三 . . . 本文を読む
京都の春、ちょうど受験シーズンには多くの参詣客でにぎわう北野天満宮。 かくいう私めも、子どもたちの受験の時は、ここをお参りし、合格祈願のお守りを買い求めたものである。その事もずいぶん昔のことになってしまった。 北野天満宮も、学生時代から通学路みたいな形でよく通り抜けたものだ。 北野天満宮のすぐそばを流れる紙屋川沿いの小径を抜けて学校に通うのがお気に入りのコースだった。 その紙屋川を北へ登って . . . 本文を読む
大安寺から南へ道路を渡り、元岩清水八幡宮の鎮守の森を通り抜けるとただっ広い空き地がある。その中に大安寺の東西の塔跡がある。
大安寺は、最近の発掘調査により、境内の真ん中を六条大路が通っており、その南側に塔を中心とする塔院があったと考えられている。
大安寺の塔は、大安寺が奈良に移転してから、天平10年頃に、あらかたの伽藍が整えられたのちに、東塔は奈良時代後半に、西塔は奈良時代の末期から平安 . . . 本文を読む
前回に引き続き大安寺という事で、やっと境内の中に入る。
大安寺の南門。ここから境内に入る。この門は、興福寺の旧一乗院の門を移築したものである。
ちなみに南門は、大安寺の南大門跡の上に建っている。
大安寺の歴史をおさらいしておこう。聖徳太子が建立した熊凝精舎が前身という言い伝えがあるもののはっきりしているのは以下の通り。
639年 百済大寺 建立
673年 高市の地 . . . 本文を読む