休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

陵墓をめぐる(まとめ)

2024-06-01 07:48:29 | 史跡を歩く
 ブログ内に天皇陵等についての記事が一定数増えてきたのでまとめてみました。 天皇・皇后陵 畝傍山周辺の御陵① ~神武天皇畝傍山東北陵~ 畝傍山周辺の御陵② ~綏靖天皇桃花鳥田丘上陵 畝傍山周辺の御陵③ ~安寧天皇陵・懿徳天皇陵~ 葛城の国の古墳めぐり(御所篇)① ~鴨都波神社・孝昭天皇陵~ 葛城の国の古墳めぐり(御所篇)⑩ ~孝安天皇陵・玉手駅~ 葛城の国の古墳めぐり ⑫ ~北花内大塚古墳(飯豊天 . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり⑦ ~淳和天皇御母藤原旅子宇波多陵~

2024-05-25 23:22:17 | 史跡を歩く
 桓武天皇御母高野新笠陵を訪ねた後、陵のある丘陵の前を通っている府道142号線をもう一人の桓武天皇所縁の淳和天皇御母藤原旅子陵に向かって歩いて約30分、ひたすら比較的古くからあるような住宅地の中を歩いていく。周りの風景が急に竹林となり、雰囲気が変わったなと思うと左手に三ノ宮神社と呼ばれる神社があった。その参道の横の細道が、淳和天皇の御母藤原旅子の陵につながる参道である。   三ノ宮神社については、 . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり⑥ ~桓武天皇御母大枝陵~

2024-05-19 21:55:23 | 史跡を歩く
 春の桂坂古墳群の一般公開を見に行った帰りに、周辺の陵墓や古墳をいくつか見て回った。 桂坂古墳群の所在する場所は、京都市の西京区御陵大枝山町というところで、近年に開発されたニュータウンである。国際日本文化研究センターや京都大学の桂キャンパスも近くにある。 比較的新しい住宅地を抜けると、一気に周りの雰囲気は変わる。京都市といっても、かなり市街地とは雰囲気が違う。普通の少し田舎の風景になる。 小畑川沿 . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり ~おまけ・安倍晴明墓~

2024-05-12 07:56:57 | 史跡を歩く
 長慶天皇陵の参道から出て、南に行くとすぐに茅葺き屋根の古民家然としている畳屋さんがあった。 なんとも古風な佇まいに思わずシャッターを切る。  この畳屋さんから、お地蔵さんの辻を右に回り込んでいくと、角倉稲荷神社という小さな社の横、ちょうど長慶天皇陵の裏側ぐらいの場所に安倍晴明墓と伝わる石塔があった。   安倍晴明と言えば、近頃は平安時代最高のヒーロー、おそらく平安時代の人物の中で一番知られている . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり⑤ ~長慶天皇嵯峨東陵~

2024-05-08 23:30:57 | 史跡を歩く
 嵐電の鳴滝駅から、帷子ノ辻駅で嵐山本線に乗り換え、嵐山方面に向かう。嵐電嵯峨駅で電車を下車、南へ少し歩くと右手に長慶天皇陵に向かう参道がある。   参道は結構長い。京都の市街地だとこれだけ長い参道というのはないが、少し外れたところにあるのでこれだけの敷地があるのかもしれない。 ちなみに長慶天皇という天皇はあまり知られていないかもしれない。南北朝時代の南朝の天皇で、後村上天皇から位を譲られたとする . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり④ ~文徳天皇田邑陵~

2024-04-06 22:40:30 | 史跡を歩く
 嵐電宇多野駅から文徳天皇陵の最寄り駅鳴滝へ向かう。宇多野-鳴滝間は、春の季節は、桜のトンネルを抜ける光景が見ることが出来るのだが、今回は、残念なことにその時期は過ぎていた。それでも新緑の林の中を抜けていく景色を見ることが出来た。  鳴滝駅に着いた。ここも閑静な高級住宅街が駅の前に広がる。 住宅街の中を西を向いて歩いていくと、参道の入り口に出る。  ここから、拝所までは少し距離がある。 細長い参道 . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり③ ~光孝天皇後田邑陵~

2024-04-04 23:44:08 | 史跡を歩く
 三条天皇陵からは、西大路を下って、北野白梅町から嵐電に乗って宇多野で下車、光孝天皇陵へ向かう。    宇多野駅を下車、住宅街の中を歩くと程なく天皇陵の参道に出た。   ここも訪れる人もほとんどいない静かな空間になっている。京都も観光客でごった返しているので、こういう空間があるのがありがたい。 私の学生時代は、30数年ほど昔になるが、この辺りの下宿から通っている学生も結構いた。  さて、光孝天皇だ . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり② ~三条天皇北山陵~

2024-04-02 22:21:52 | 史跡を歩く
 花山天皇陵から北に向かい、北大路道を渡って、平野通を北上し、二つほど交差点を越えて、左に入ると、三条天皇北山陵が見える。 ここも花山天皇陵同様に閑静な住宅街の中にあり、目立たないようにひっそりと訪れる人もないような様子であった。  三条天皇は、前回に訪ねた花山天皇の弟で、父は冷泉天皇で、母は藤原兼家の娘藤原超子である。 一条天皇の譲位を承けて、寛弘8(1011)年36歳で天皇となった。ちなみに三 . . . 本文を読む
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京都洛西の天皇陵めぐり① ~花山天皇紙屋川上陵~

2024-03-31 21:32:13 | 史跡を歩く
 京都の春、ちょうど受験シーズンには多くの参詣客でにぎわう北野天満宮。   かくいう私めも、子どもたちの受験の時は、ここをお参りし、合格祈願のお守りを買い求めたものである。その事もずいぶん昔のことになってしまった。 北野天満宮も、学生時代から通学路みたいな形でよく通り抜けたものだ。 北野天満宮のすぐそばを流れる紙屋川沿いの小径を抜けて学校に通うのがお気に入りのコースだった。 その紙屋川を北へ登って . . . 本文を読む
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大安寺古墳群をあるく・おまけ ~大安寺塔跡~

2024-02-18 22:19:37 | 史跡を歩く
 大安寺から南へ道路を渡り、元岩清水八幡宮の鎮守の森を通り抜けるとただっ広い空き地がある。その中に大安寺の東西の塔跡がある。  大安寺は、最近の発掘調査により、境内の真ん中を六条大路が通っており、その南側に塔を中心とする塔院があったと考えられている。  大安寺の塔は、大安寺が奈良に移転してから、天平10年頃に、あらかたの伽藍が整えられたのちに、東塔は奈良時代後半に、西塔は奈良時代の末期から平安 . . . 本文を読む
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大安寺古墳群をあるく・おまけ ~大安寺②~

2024-02-11 23:41:19 | 史跡を歩く
 前回に引き続き大安寺という事で、やっと境内の中に入る。    大安寺の南門。ここから境内に入る。この門は、興福寺の旧一乗院の門を移築したものである。  ちなみに南門は、大安寺の南大門跡の上に建っている。    大安寺の歴史をおさらいしておこう。聖徳太子が建立した熊凝精舎が前身という言い伝えがあるもののはっきりしているのは以下の通り。  639年 百済大寺 建立  673年 高市の地 . . . 本文を読む
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大安寺古墳群をあるく・おまけ ~大安寺①~

2024-02-10 23:16:43 | 史跡を歩く
 杉山古墳を出て、南へ向かって大安寺に向かう途中、大安寺北面中房跡と記された空き地があり、礎石と基壇が復元されていた。    奈良時代、大安寺には887人もの僧侶がいたらしく、その僧侶たちの住まいである僧房も東・北・西の三面に二重で建てられており、ここで復元されているのは、北側にあったものである。下の写真は北西中房である。    また、同じ場所に「旧大安寺村役場跡」と記された石碑も建ってい . . . 本文を読む
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箸墓古墳の周濠を歩く 2023 ④

2023-09-04 23:05:34 | 史跡を歩く
 慶雲寺を出て、これからいよいよ箸墓古墳に向かう。今回は、後円部から古墳に近づいていく。墳丘の樹木が、かなり伐採をされていて、隙間から墳丘の姿が見える。        よく観察してみると段丘になっているのがわかる。ちなみに後円部は、円丘部を入れて5段、前方部は4段となっているそうだ。  後円部は、道路からは、墳丘が高すぎてわからないが、前方部は、確かに4段になっている . . . 本文を読む
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箸墓古墳の周濠を歩く 2023 ③

2023-09-03 23:20:40 | 史跡を歩く
 茶ノ木塚古墳から北口塚古墳の前を通って、ホケノ山古墳へ。    【ホケノ山古墳】前方後円墳 全長85m       ホケノ山古墳は、何度となく来ているのだが、そのたびに新しい発見がある。  今回は、ホケノ山古墳には、築造時(3世紀の中頃)造られたものと6世紀に造られた横穴式石室の二つの埋葬施設の位置をビニールテープで示してくれている。        そうい . . . 本文を読む
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箸墓古墳の周濠を歩く 2023 ②

2023-09-02 23:35:36 | 史跡を歩く
 巻野内石塚古墳からホケノ山古墳までの道のりは、田園の中を残土かと間違うような小さな古墳がポツポツと顔を出す。これらの小古墳、ちゃんと名前があるから面白い。サシコマ古墳などはどういう意味なんだろうかと思う。   ※サシコマ古墳の名称については、明治以前にこの辺りに牛を埋めていたという伝承からこの名がついたら しい。    【サシコマ古墳】円墳 径約13m     . . . 本文を読む
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