神光寺を出て、道路に出るとすぐに道路に面して、横穴式石室が開口している古墳がある。
これが、服部川7号墳で、高安千塚古墳群の中でも最大級の古墳である。
羨道も広いので、少し腰をかがめるだけで入れるし、比較的見つけやすい所にあるので、数多い高安千塚古墳群の古墳の中でも最もよく知られている古墳の一つであろう。
石室の中も大きく、玄室の中の広さはおよそ畳9畳分とのこと。
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高安千塚古墳群の服部川支群は、137基の古墳が集中しており、高安千塚古墳群の中心的な位置にある。このうち102基については、国の史跡に指定されている。
服部川支群の周辺に神光寺という曹洞宗のお寺があり、門前には古墳群を示す石碑が置かれている。
その神光寺の境内やその周辺ににいくつか古墳が存在する。神光寺の境内に入って、後ろを振り返ってみると、まず、南側に開口する服部川3号墳の姿が目 . . . 本文を読む
来迎寺の墓地、お墓が林立する向こうに墳丘が見える。
これは古墳だなと思いながら、近づいてみる。
これが大窪・山畑7号墳と呼ばれる古墳で、通称「抜塚」と呼ばれる古墳である。そして、古墳の前に立ってみるとこれまたびっくり!
なんと、トンネルのように貫通しているではないか!!
まあ、抜塚とはよく言ったもので、本来古墳にあるはずの奥壁などが全くない。
調べてみると . . . 本文を読む
大窪・山畑1号墳から少し登ったところに祠があり、そこから農道に出る石段があるのだが、その石段の麓を見てびっくり。
ダダのブロックの穴かと思っていたところを注意深く覗いてみるとなんと、なんと、なんと!ブロックの奥に石棺があるではないか。
何とも不思議な光景で、どうやらもともとあった横穴式石室の開口部をブロックで固めたようだ。石棺の周りは、横穴式石室の石組がちゃんと残っていた。ち . . . 本文を読む
今度は、大窪にある来迎寺を訪れ、周辺にあるいくつかの古墳を探索。最近になり、開発された墓地の裏にいくつかの古墳があるとのことで、竹林の中へ。
すると、古墳の石室に使われていた石材を見つけた。
そうしているうちに、竹林の奥に開口している古墳を見つけた。
近づいてみると、横穴式石室が大きく口を開けており、難なく古墳の内部に潜入することができた。
調べてみると、 . . . 本文を読む
愛宕塚古墳を出て、しばらく農免道路をめざして、山麓を登っていく。農免道路を南に下り、途中にある山道を100mも行っただろうか、そこから大窪・山畑36号墳、通称河内ドルメンを探すために、道を外れて、藪こきをしながら進んでいく。正直、標識等もないので先人の歩いたであろう跡を探して進んでいくことになる。
藪こきをしながら、道なき道を進んでいくと、大きな木の陰に隠れている石室を見つけることがで . . . 本文を読む
大阪府の八尾市の東部、高安山の西麓には、高安千塚古墳群と呼ばれる日本でも有数の群集墳があるが、それとは別に、高安千塚古墳群よりも少し離れた、さらに北に上がったところに、愛宕塚古墳と呼ばれる独立墳がある。大阪府内でも有数の大きさの横穴式石室を持つことで知られている。
愛宕山古墳へは、近鉄服部川駅を下車し、北へ、八尾市歴史民俗資料館の方をめざして歩いていくことになる。
てくてくと山麓の . . . 本文を読む
令和5年9月18日(祝)
昨年に引き続き唐櫃山古墳の発掘調査の現地説明会に参加してきた。
※昨年度の現地説明会については、こちらを参照→「唐櫃山古墳発掘調査 現地説明会」
昨年の発掘調査では、後円部に付属する造出し状の付属施設が存在することが明らかになっている。
さて、今年度の成果はいかばかりか?今回、参加者が多かったので、一度に墳丘の上に登れないとい . . . 本文を読む