平成28年1月23日(土) 今年度の最初の発掘調査の現地説明会である。前日、遅くまで飲んだからであろうか、ちょっとぼんやりとしていて説明会の場所を間違ってしまい、着いた時には1回目の説明の途中だった。 方広寺は、ご存知の通り、豊臣秀吉が、文禄4年(1596年)に創建したお寺であり、豊臣秀吉の死後、方広寺の梵鐘の銘をめぐって、豊臣家と徳川家との間で紛争があり、このことが大坂の陣の引き起こすきっかけと . . . 本文を読む
今年は司馬遼太郎さんが亡くなって、20周年なんだそうだ。司馬さんは、1996年2月に亡くなった。満72歳であった。今回は、そういう意味もあってあとずれたということでもなく、休日出勤のあと、少し時間を持て余したので、自分に活を入れるために記念館を訪れることにしただけである。
司馬遼太郎記念館は、東大阪市下小阪にあり、司馬遼太郎さんが存命中の時から、この前をよく通って学校まで通っていたもの . . . 本文を読む
平成28年3月11日(土)
平城京朱雀大路の発掘調査ということで、昨年末にあった平城京右京一坊一坪・二坪・七坪・八坪の調査地と同じく元積水化学の工場跡地での調査となった。この日の、僕が調査地に訪れた時にはすでに多くに方が説明会を参加されていた。少し出遅れたこともあって、到着した時には、調査員の方の説明が始まっていたので、出土品の展示を見る。
皇朝十二銭の最初、和同開珎と二つ目、萬年通宝が展 . . . 本文を読む
「万葉の旅」の中に「城上の墓」と題された一篇がある。城上(きのえ)という地に、天武天皇の皇子高市皇子の殯宮が営まれたと言われている。また、延喜式には、高市皇子の墓は、「三立岡。大和国広瀬郡に在り。」と記されている。三立岡については、この本では、馬見丘陵の中にある見立山がそうではないかと推定されている。(しかしながら、見立山には該当しそうな古墳は見つかっていない。)
「万葉の旅」の中では、馬見古 . . . 本文を読む
先の左京三条二坊一四坪の調査地から二条通を西へてけてけと歩き、平城京左京三条二坊宮跡庭園はもちろん、朱雀大路を横断し、工事用のフェンスで囲まれたところに入っていくと、3つ目の説明会の会場に到着する。残念ながら、スタンプラリーは、品切れということで、スタンプだけ押してもらった。しかし、結構、早い時間から行動開始しているのに・・・。これって早い人はどんな感じで動いてるんやるろ、説明を聞いてたら無理っ . . . 本文を読む
平成27年12月20日(日)、この日は、奈良市内の東西を横切っている二条通り沿いに3カ所、現地説明会が開催されており、3カ所をすべて回るには、結構、時間との戦いでもあった。
近鉄奈良駅から、新大宮駅まで一区間電車に乗って、二条通りをてくてくと東に向かって歩く、かつて奈良警察署があった場所が、今回の調査地である。
平城京左京三条二坊一四坪というのは、平城京内の地番を表している。大きく平城京は . . . 本文を読む