司馬遼太郎の『街道をゆく 24 ~近江散歩・奈良散歩』所収の「歌・絵・多武峰」を読んでいるうちに、多武峰の方へ行ってみたくなり、仕事の合間を縫って、年休を取り、一路桜井市へ向かう。
多武峰へは、通常桜井駅の南口にあるバスターミナルからバスに乗るのだが、平日であったこともあり、バスの本数が限られていること、バスが来るまでかなりの時間があること、ついでに聖林寺にもと立ち寄ってみたいと思い、適当な . . . 本文を読む
河内大塚山古墳である。以前もこのブログで紹介したのだが、その時は、携帯のカメラで撮影しただけだったので、今回再訪して、改めてちゃんとしたカメラで撮影したので、再度投稿というわけである。
河内大塚山古墳は、羽曳野市と松原市との境に所在しており、実際、古墳の墳丘の上を市境がある珍しい古墳である。そのためか、全国で5番目に大きい古墳であるのになんとなく扱いがぞんざいなような気がする。ちなみに世情 . . . 本文を読む
「岸和田の古墳を歩く」がいったん完結したのでまとめておきます。
「岸和田の古墳を歩く① ~貝吹山古墳~」
「岸和田の古墳を歩く② ~無名塚古墳~」
「岸和田の古墳を歩く③ ~風吹山古墳~」
「岸和田の古墳を歩く④ ~光明塚古墳・久米田寺・久米田池~」
「岸和田の古墳を歩く⑤ ~摩湯山古墳・馬子塚古墳~」
「岸和田の古墳を歩く⓺ ~観音寺山遺跡~」
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摩湯山古墳から観音寺山遺跡までは、北東の方角をだらだらと緩やかな登り道を30分ほど歩くことになる。途中、府道和泉中央線を越えたあたりから坂が急になると同時に周りの風景が一変する。どちらかと言えば農村めいた光景から、一気に現代の新興住宅地へと様変わりする。この住宅地のある辺りの地名を弥生町というのは、おそらく観音寺山遺跡などの様に弥生時代の遺跡があったことにちなんでいるのであろう。
急な坂道を . . . 本文を読む
久米田池公園で一服していたら、目の前にある運動広場で、つむじ風が巻き起こっていた。長い人生であんな見事なつむじ風を初めてみた。動画にも撮ったんだけど、残念なことに、このブログでは掲載席ないのだなあ。
てなわけで泉州地方の前期古墳としては、最大の古墳、摩湯山古墳を目指して歩いていく、主屋の屋根の軒のところに大きな家紋のある住宅などもあって、この辺りは旧村なのだろう。
30分ほど、歩いて緩い . . . 本文を読む
貝吹山古墳や風吹山古墳などがある久米田公園を後にし、少し東へ行くと久米田寺がある。お寺に入る道の左手に五輪塔がおかれた小さい円墳がある。
これが光明塚古墳と呼ばれるもので、直径25mほどの円墳である。聖武天皇の皇后である光明皇后の遺髪塚という伝承があり、古墳の頂点には、光明皇后陵と側面に書かれた比較的新しそうな五輪塔が建てられている。発掘調査等行われていないため、詳細はわからない。ただ . . . 本文を読む
久米田公園内には、貝吹山古墳や無名塚古墳のほかに、もう1基、公園の西側に存在している。
風吹山古墳と呼ばれる古墳がそれで、墳長71mの帆立貝型の古墳である。これまでの発掘調査の結果、当初築造されたときは造出し付きの円墳であったものが、前方部を作り足したと考えられている。また、今は埋まっていてないが、馬蹄型の周濠が周りを巡っていた。
古墳を造っている途中で、家格が上がって、急遽作り直 . . . 本文を読む
貝吹山古墳のちょうどくびれ部のあたりの陸橋から、久米田公園の中に入っていくと、無名塚古墳と呼ばれる円墳がある。
無名塚古墳は、直径26mの二段築造で作られた円墳で、出土した円筒埴輪などから4世紀の末ごろのものと考えられている。古墳の周囲には周濠がめぐらされていたようで、復元された古墳の周囲にも周濠の跡が明示されている。
この古墳については、以前から墳頂部に埋葬施設を思わせる長 . . . 本文を読む
大阪は泉州、岸和田市にある久米田古墳群へ行ってみることにした。大阪に住んで50年以上になるのだが、堺市より南というのは、数えるほどしかない。たぶん阪和線に乗って、堺市を越えたのは5,6年ぶりだと思う。
大阪府の東部に住んでいると、堺市の南というのは交通の便が意外に悪く、行きにくい場所なのである。とは言いつつも、泉州地方にも多くの古墳が残っているので、これを見逃す手はないということで、今回の岸 . . . 本文を読む