明治天皇陵から桓武天皇陵へは、元来た参道を引き返す途中に分岐点があり、桓武天皇陵への参道がある。
写真のような石標があり、これに従って北の方角に向かって歩いていく。
ここでも途中、参道の脇には石垣などに使われていたような石が林の中にごろごろ転がっていた。
ほとんど歩く人もいないような静謐な参道を歩いていくと、桓武天皇陵の制札が建っている。そこで右に折れて拝所に向かう。
桓武天皇は、第50代天皇として天応元(781)年に践祚、同年に即位した。平城京から長岡京及び平安京への遷都を行った天皇としてよく知られた天皇である。また、桓武天皇は現在の皇室へ皇統を伝えているとともに桓武平氏や在原氏の袖もある。
静かな参道を歩いていくと、大きな拝所に出る。さすが、平安時代の始まりを告げる人物であると思わせる偉容であった。
桓武天皇については、当初長岡京の北側に、例えば母、高野新笠や皇后である藤原乙牟漏 、妃である藤原旅子といった身内にあたるような人々の墓所があることから、 この辺りに陵園のようなものを築こうと考えていたのかもしれない。
しかしながら、その後平安京遷都などがあり、桓武天皇の陵園計画は、とん挫したと考えられる。
延暦25(806)年の崩御の後、伝えられるところでは当初宇多野の地に墓所が定められるも不審な事件が相次ぎ、賀茂神社の祟りであると卜占によって占われたことから、最終的にこの辺りに埋葬されたのだという。
しかし、早くも中世には、陵の所在地はわからなくなってしまったようである。
そして、この地には、豊臣秀吉により、伏見城が築城され、その時に陵は破壊されたのではないかと考えられている。
そのため、文久の修陵の際には、修陵されず、明治13年に現在の地を陵墓として治定し、現在に至っている。
こうした経緯のためか、伏見区大亀谷に陵墓参考地が置かれている。
桓武天皇陵の拝所からまっすぐ西に向かうとちょうど御香宮神社の裏門に出た。
この後は、伏見の街なかを探索してみることにしよう。
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