孝明天皇陵からの帰り道、途中に泉涌寺の入り口があった。泉涌寺については、御寺と言われ菩提所として、近代まで皇室の崇拝を受けていた由緒ある寺院である。
ただ、その創建はあまり確かではなく、鎌倉時代の僧、俊芿によって再興された。その俊芿の時に、後堀河天皇や四条天皇とのつながりが出来、その関係で皇室との結びつきができたもののようである。
詰め所で拝観料を支払い、境内に入る。目の前に大きな二つの建物 . . . 本文を読む
後堀河天皇陵から元来た道に戻り、さらに奥へ進んでいくと、江戸時代最後の天皇、孝明天皇と英照皇太后後月輪東北陵がある。
孝明天皇については、その在位期間のほとんどが、幕末の動乱期と重なり、その政局において、重要な役割を演じていた人物である。徳川家、特に「一会桑」と呼ばれる一橋慶喜、松平容保への信頼は厚く、佐幕的な姿勢を貫いたとされる。
1867(慶応4年)突然の天皇の死により、幕末の政局は . . . 本文を読む
鳥戸野陵の参道から元来た道に戻り、さらに奥に入っていく。この道は、京都一周トレイルというトレッキングルートになっている。
この道を歩いていくと泉涌寺の墓地の間を抜け、西国三十三か所観音霊場第十五番札所となっている今熊野観音寺の鳥居橋の下をぐぐって、その後、道を登って行って鳥居橋の正面にでる。
この橋を渡って、今熊野観音寺の境内に入る。今熊野観音寺は、平安時代の初期、弘法大師空 . . . 本文を読む
東大路通りを少し南へ下り、JRの線路を越えると、中尾陵、鳥戸野陵と書かれた石碑が立っている。そこから東入りし、少し登ると、仁明天皇女御藤原沢子中尾陵と呼ばれる陵がある。藤原沢子については、第58代の天皇、光孝天皇の母であり、関白となった藤原基経の母と姉妹ということしかわからない。
道沿いに、陵の参道を示す石碑が傾いて立っており、細い道を入っていくと、拝所がある。
制札には、「 . . . 本文を読む
京都は東山、三十三間堂のすぐ東側に、「日本一の大天狗」と言われた後白河天皇の御陵がある。
三十三間堂の東大門の道を挟んで向かい側、伏見城の血天井で知られる養源院と法住寺というお寺の間にある細い通路を入っていくことになるのだが、通路の入り口にある鉄柵が、平日しか解放されないため、なかなか見ることができない場所になっている。
後白河天皇は、鳥羽天皇の皇子で、母は待賢門院璋子である . . . 本文を読む
飛鳥から桜井の方へ抜ける道(磐余の道)を歩くと桜井市との境に近くに飛鳥資料館がある。飛鳥を知るためには、ここを訪れないといけないような中心的な施設になっている。
エントランスを入ると、受付のすぐ左にあるのが石人像といわれる石造物である。
異国風の男女が抱き合っているように見える。もともとは、石神遺跡の周辺で見つかったものであるらしい。長らく東京国立博物館に保管されていたが、飛鳥資 . . . 本文を読む