休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

新選組紀行①清水寺 ~司馬遼太郎『新選組血風録』より「沖田総司の恋」~

2022-06-18 22:21:54 | 文学をたどる

 最近、何十年ぶりにか司馬遼太郎氏の連作短編集「新選組血風録」を読み直している。いくつかの短編に、実際に小説の中に描かれている場所を歩いたりしていることから、少しこのブログでも取り上げてみようと思う。

 その中の一編「沖田総司の恋」。この連作短編集において取り上げられる隊士は、暗殺や切腹などで志半ばで命を終えるのだが、この「沖田総司の恋」は将来の総司の早逝を予感させつつ終わるものの作品の中では死ぬことはない数少ない作品である。

 沖田総司は、池田屋騒動の時に大量の血を吐き、その治療のため、会津藩の紹介で京都の町医者である半井玄節のところに通い始める。しばらく通ううちに、玄節の娘お悠に恋心を抱くようになるが、特に進展はしない。しばらくして、同郷の土方や近藤の知るところとなった。

 そして、半井の所に通うところを土方に見つかり、一緒に清水寺に向かうことになる。

 小説では、清水寺は以下のように描かれる。

 「正面に朱塗りの仁王門がある。その坂にさらに高い石段がそびえており、のぼりつめると八脚の華奢な西門が、星霜に古びて立っていた。

 二人は有名な清水の舞台に出た。」

 【仁王門】

  

 【清水寺境内】

  

 【本堂】

  

 そして、こんな記述もある。

 「西を見れば、はるかに天がひらけ、西山の峰々がかすみ、王城の屋根の波が眼いっぱいにみえる。」

 

 西山の峰々はかすんでいるが、京都タワーや高層ビルが見えた。幕末からは、当たり前だが、かなり風景は変わってしまっている。

 そして音羽の滝。

 「滝というものではない。楓の枝がかぶさった石段の上に、石樋が出ている。その石樋から細い水が三すじ、糸を引きように落ちているだけである。

 

 これが音羽の滝。水を汲むのにずらっと人が並んでいる。なんかそっちの方が驚き。

 音羽の滝が、清水寺の寺名の由来となった滝で、ご利益は、向かって左が、学業成就、中央が、恋愛成就、右が延命成就である。ただ、多くの人が並んでいるので、三つすべての水を汲むのは至難の業である。一つできれば、三つとも成就できたという話もあるが・・・。

 小説では音羽の滝で、お悠と邂逅し、土方に知られることになり、そして、近藤、土方が半井に嫁とりに勝手に動いてしまい、総司の恋は、成就することなく終わった。

 ちなみに清水寺の境内には、地主神社という縁結びとして有名なパワースポットがあるのだが、その利益がとどかなかったということかな。

 

 まあ、武骨な兄貴分が出てきてひっかきまわすというのは、いかにも新選組を舞台にした小説などにはありそうな話。しかし、この新選組血風録等の司馬小説の沖田像が、今にまで生きているような気がする。

 ちなみに、半井玄節なる医師は、どうも架空の人物であるようだ。

 清水寺周辺は、とても観光客の多いところで、この日もかなりの人込みとなっており、四条駅から、ここにたどり着くのは本当に大変だった。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬見丘陵の古墳をあるく(ま... | トップ | 新選組紀行②御香宮神社 ~『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

文学をたどる」カテゴリの最新記事