船岡山の周辺の火葬塚をいくつか紹介したが、もう少し範囲を広げてみると、さらにいくつか火葬塚を見つけることができた。
まず後冷泉天皇の火葬塚を見学した後、一条天皇、三条天皇の火葬塚を訪ねるために千本通りを北上し、佛教大学の構内を横切っている道路を西へ行き、団地を抜けていくと、少し土が盛り上がった堤防のようになっている所があった。
これが、近世、豊臣秀吉によって作られた御土居の遺構である。( . . . 本文を読む
以前、このブログで船岡山周辺は、古くは蓮台野を中心に葬送の地であったと記した。そのことを示すのが千本北大路にある上品蓮台寺と言うお寺だったりするわけだが、それ以外にも、船岡山の周辺から北にかけて、平安時代後半から院政期にかけての天皇や皇族の火葬塚なるものがいくつか見ることができる。
火葬塚という用語は、あまり聞きなれないものであるが、古代、中世において、火葬した場所を火葬塚とし、遺骨について . . . 本文を読む
前回の「京都の伝説を歩く【15】船岡山」で、源為義の処刑のことに触れたので、そのつながりで京都の七条七本松にある源為義の墓所について取り上げることにした。
源為義のお墓は、たまたま少し前、京都平安京の大極殿跡から大阪まで自転車で行ってみようとママチャリを一生懸命漕いでいる時に偶然七条通の商店街を走っている時に見つけたものである。
梅小路公園から西へ、JR 線の下をくぐる道を探している途 . . . 本文を読む
京都市内の北辺を守るように東西に長く横たわっている独立した丘が船岡山である。標高110mほどの高さであり、山のほとんどが船岡山公園として整備されている。
船岡山の都市伝説としては、有名なものとしては、平安京を四神相応の地として、北側を守る玄武にあたるのが船岡山だとする。また、平安京を船岡山を中心として、朱雀大路を南北に通じたとするものであろう。昔の朱雀通の延長である千本通が、現在が船岡山の西 . . . 本文を読む
四条通を東へ進むとちょうど東大路通と交わる三叉路の行き止まりにあたる場所に八坂神社がある。この辺りは京都でも一二を争う人通りの多い場所になる。そういえば、いつの間にか漢検の漢字ミュージアムなるものも出来ていた。
大勢の人が行き交う八坂神社であるが、神社の本殿には、参拝する人が多くいる中、本殿の東側にひっそりと八坂神社の摂社や末社に挟まれて、一つの灯籠が立っている。
平忠盛灯籠 . . . 本文を読む
久しぶりに京都の伝説について書いてみる。写真とネタが見つかればブログに挙げていっているという感じです。
今回は、京都は東山、清水寺の奥にある泰産寺子安の塔を取り上げてみたい。
清水寺の仁王門から入って、著名な国宝の本堂、奥の院、音羽の滝を通って、南へ谷を一つ越えたところに朱色の三重塔がある。これが、泰産寺子安の塔である。長い間、ずっと清水寺の一部だと思っていたのだが、最近になってと . . . 本文を読む