貝吹山古墳のちょうどくびれ部のあたりの陸橋から、久米田公園の中に入っていくと、無名塚古墳と呼ばれる円墳がある。
無名塚古墳は、直径26mの二段築造で作られた円墳で、出土した円筒埴輪などから4世紀の末ごろのものと考えられている。古墳の周囲には周濠がめぐらされていたようで、復元された古墳の周囲にも周濠の跡が明示されている。
この古墳については、以前から墳頂部に埋葬施設を思わせる長方形のくぼみがあったが、発掘調査の結果、埋葬施設や出土品などはほとんど見つからなかったようだ。
古墳の南側の平地にかつては、持ノ木古墳と呼ばれる、一辺12mの方墳が存在していた。現在は、墳丘などは削平されて存在しない。ただし、発掘調査で周濠跡だけが確認されており、そこからは、埴輪、須恵器、土師器などが検出されている。
この古墳から検出された須恵器が、国内で最古級のものとされてる。埋葬者はわからないが、円墳なので、ヤマト王権の中枢ではあまり権力を持たなかったが、最古級の須恵器といった新技術を手にすることができる財力があった人物を想像できそうである。
そして、これらの古墳を築造順にいうと、貝吹山古墳→持の木古墳→無名塚古墳の順番になる。このことから考えると貝吹山古墳を築造することができた一族(久米田古墳群を築造した一族)は、徐々に中央の王権の中では勢力を失いつつあるも、地方の豪族として、何代かにわたって、それなりの財力を保持することができたと考えることはできないだろうか。
この後は、同じ公園内にある風吹山古墳へ向かうことにしよう。