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元明天皇陵から元正天皇陵に行くには、一旦県道に出て、反対側、つまり西へ延びる道を歩いていくことになる。
遠くに、元正天皇陵の拝所の小屋が見える。
右手に駐車場があり、その奥に元正天皇陵の拝所が見える。元正天皇陵は、元明天皇陵と違ってトラック等の行き来もなく、田んぼを前にして、ひっそりとたたずんでいる。
元正天皇陵も、元明天皇と同様に丘陵をぐるりと柵で囲んでおり、古墳と言うような形状ではない。宮内庁では、山形なんて表現をしている。
ここに関してはあんまりデータがないので、奈良県の遺跡地図を見てみると、域内には小さい古墳があるようだ。ただ、規模等は全く不明とのことであった。どうも、この古墳が元正天皇の御陵とは言う確証は得られそうにない。
ちなみに、元正天皇も文武天皇や元明天皇などと同様に火葬に付され、1年ののちの奈保山陵へ埋葬されている。元明天皇陵には石碑が置かれているが、元正天皇にはそういったものも見当たらない。
延喜式では、元明天皇が「奈保山東陵」、元正天皇が「奈保山西陵」となっていることから、元明天皇陵の西にある山ということで、この場所が天皇陵とされたのかもしれない。ちなみに江戸時代では、こなべ古墳が元正天皇陵という伝承もあったようである。
元正天皇は、草壁皇子と元明天皇との間に生まれ、文武天皇は、弟にあたる。文武天皇の皇子、首皇子に皇位をつなぐことが最大のミッションであったこの時代、元明天皇の後を受けて、独身で即位した。
天皇の治世には、「日本書記」の撰上や三世一身の法の施行などがある。藤原不比等の死後、妹の吉備内親王の夫、長屋王を登用している。非常に美しい、聡明な女性であったようだ。
帰る途中にあったポケットパークから眺める。天皇陵全体が良く見える。
この後は、県道を引き返し、聖武天皇皇太子墓を訪ねることにした。
小生も古墳が好きで、拙ブログでもたまに取り上げていますが、東京にいますと、なかなか奈良方面に出にくく、どうしてもネタが机上の空論的になってしまいます。
さて、この古墳についても陵墓比定の大変さを象徴するようなものかなあと拝察しました。最近の発掘で中尾山古墳がおそらく真の文武天皇陵だろうとなったようですが、元明・元正と続くこちらの古墳も本当にそうなのか? と思いを巡らすのも楽しいかもと。
そもそも古墳でもなかった・・・なんてのもけっこうありそうですね。
また、時々でも立ち寄らせていただきたく。
表題の通り、デジカメを持って、古墳などをぶらぶらと写真に撮ったことをまとめております。
近頃は、古墳に偏っておりますが・・・。
また、お越しください。よろしくお願いします。