女心と何とやら
毎日日替わりで天気が変わります。
小春日和といえる日は花も進んでありがたい。
青空が広がると3年前の10月23日を思い出す。
あの日は土曜日で200ケース以上の出荷を終えて残物の整理をしているときだった。
5時56分。突然ドカーンと揺れて電気が消えた。
とりあえず車の中で寝たが度重なる大きな余震で眠れるはずも無く、ラジオを聴いて夜を明かした。
次の日からの4.5日は雲ひとつ無い晴天の日が続いた。
幸い、我家はほとんど被害は無かったが、仲間の家は作業場も家も壊れ、大変だった。
交通もままならなかったが、花は生き物なので組合を上げて自力で農道を復旧して出荷活動は続いた。
その週だけで組合で5000ケース以上の出荷が有ったが、今思うとチームワークあっての出荷だったと思う。
3年間で道路を始めインフラのほとんどが復旧したが生々しい思い出は今も消えない。
助けてくれた人への感謝も永久に忘れない。
道路沿いや庭先に花を植える人が増えた。
車で走っていても花には癒されます。
毎日日替わりで天気が変わります。
小春日和といえる日は花も進んでありがたい。
青空が広がると3年前の10月23日を思い出す。
あの日は土曜日で200ケース以上の出荷を終えて残物の整理をしているときだった。
5時56分。突然ドカーンと揺れて電気が消えた。
とりあえず車の中で寝たが度重なる大きな余震で眠れるはずも無く、ラジオを聴いて夜を明かした。
次の日からの4.5日は雲ひとつ無い晴天の日が続いた。
幸い、我家はほとんど被害は無かったが、仲間の家は作業場も家も壊れ、大変だった。
交通もままならなかったが、花は生き物なので組合を上げて自力で農道を復旧して出荷活動は続いた。
その週だけで組合で5000ケース以上の出荷が有ったが、今思うとチームワークあっての出荷だったと思う。
3年間で道路を始めインフラのほとんどが復旧したが生々しい思い出は今も消えない。
助けてくれた人への感謝も永久に忘れない。
道路沿いや庭先に花を植える人が増えた。
車で走っていても花には癒されます。