ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

はるきやま

2009年01月29日 | 観察

映画 「たそがれ清兵衛」 に出てくる幕末の頃の山形の暮らしには昔懐かしいシーンが出てくる。
焚き木を背負って山から出てきたり、囲炉裏に鍋がかかっているシーン。

子供の頃のわずかな記憶では、プロパンガスなどは無く、囲炉裏端で家族が集まって煮炊きをして丸い「ちゃぶ台」で飯を食った。

年寄りは食い終わった後、茶碗にお湯を注いでコウコウでくるりと茶碗を洗い、その湯を飲むとそのまま箱膳に仕舞う。
囲炉裏の脇には「キジリ」(キジャリ)と呼ばれる、杉っ葉やボイ(焚き木)のストック場所があった。
芋、クルミや渋柿を焼いて食うのが子供のおやつだった。
さすがに電灯はあったが、、、

井戸からは手漕ぎのポンプで長いトヨで流し台の隣の風呂桶に水を汲むのが子供の役目だった。
風呂焚きも子供の仕事だった。

春先には、 「はるきやま」と言って、山の斜面の雑木をなたで切り落として束ねて家まで背負った記憶がある。
どこの家にもボイやコロ(薪)を積み上げてカヤで屋根をかけた「ニュウ」と言うものがあった。
何年かおきに切られるので雑木も小さく、雪の重みで山が抜けることも少なかった。

幕末と父の子供の頃とはちょうど100年のタイムラグがあるのにあまり暮らしは変わっていなかったのだな。

などと昔を思いながら、クロカンです。
山まで登ってみたがきのこは出ていません。

スケーティングでかなりの登りも行けちゃうしスピードも出る。
でも下りは難しい。

畑じゅう飛び回って汗びっしょりになってしまった。
足より腕のほうがだるい。ちから加減が間違っているのかも。

初 「ふうきんとぅ」 ゲットでした。
コメント (9)
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