ここの下には、愛知県の怪談で有名な『伊勢神隧道』がある。
「夜の11時から3時ぐらいは丑三つ時という。
深夜に山越えすることになって、旧伊勢神トンネルを車で通ることになった。
伊勢神トンネルは一台幅の狭い300mほどのトンネルで、速度を落としてトンネル半ばほどまで来たときに、車の後窓で手をバンと叩きつけるような音がした。
車を止めて、運転席に座ったまま、後ろを振り向いてみてみると、窓に両手が張り付いているように見え、よく見ると窓の向こう、手のひらの向こうに、何かが覗き込んでいる。
なにか人ならざるものに驚き、運転手は車を発進させて逃げようとする。車のフェンダーミラーから両側まで数十センチほどしかなく、照らす灯もなく、トンネル内を照らすものは車の暗いハロゲンライトのみ。道が砂利でところどころ陥没している。さらに狭いトンネルなので速度が出せない。
なんとか出口に到達して、急停止の後、後ろを振り向くと、手の跡だけが残って、何かは失せていた。」
というような話を、カブスカウトの時、怪談話がうまいボーイスカウト団長から、自然の家でのボーイスカウトキャンプの時に聞かされた。
(車は丸目のMARKⅡとか、丸目4灯のコロナあたりで考えてくださいね。聞いたころがちょうどそんな車ばかりでしたから。大元の話もどうもその頃の話のようです。)
正直それからずっと夜が怖くなった。幽霊が怖くなった。引き戸の隙間から何か出てくるんじゃないかと、ひたすら夜が怖かった。
そんな愛知県では有名なトンネルがある。さらに下に今使われてる新伊勢神トンネルがあり、もう少し下に新々伊勢神トンネルが建設中。そんな場所の一番真上に立ってる祭壇所。
自分が幼いころ、正月に爺さんちにお年玉貰いに行ったら、爺さんに車に乗せられ、ここに連れてこられた。旧トンネル入り口の横に車を駐車し、トンネル横の急な山道を手をつきながら登った。トンネル上の伊勢神峠に登った。当時も峠の部分は少し平地になっていて、動画のように拓けていた。
伊勢の方向である西側の木々は伐採されていて、伊勢の方向は見渡しが良かった。平地には北に向かって木製の祭壇の棚が置かれていて、その棚の上には、什器と花器だけが残されていた。ほかにはのぼりが立っていた。そこから1月1日の元旦に神事が行なわれていたらしかった。
爺さんに促されて、伊勢の方向に向いて柏手を打って拝んだという思い出がある。
子供のころからここに行ってない。
動画にある古代様式の神舎風の建物は当時はなく、ここ数十年の間に建ったらしい。登る道はこんな風ではなかった。
平地の感じは面影あるが、記憶の風景とずいぶん違う。ぜひもう一度行かないとな。
トンネルの幽霊?出ないよ?神域の下にある『噂のトンネル』だよ?出るわけないよ。
それに明治・大正・昭和のころだと、建設中に死亡事故、建設後に交通死亡事故などが出ると、まずトンネルのどちらかの入り口付近に慰霊碑が作られる。今だと信心深い人いないから、まず作られない。新規のお地蔵様ってまずないだろ?
怪談話の真実味を上げたいときは、慰霊碑探すことにしてる。それを探し出したら、怪談話信じることにしてる。
幽霊克服のために、付近一帯を子供のころに、慰霊碑捜索したことがあるんだが、伊勢神隧道の周囲に慰霊碑がないんだ。それから、ぐっすり寝れるようになった。
それより格安バス旅行で北陸行った時、トンネル入り口にでっかい慰霊碑あるトンネル見たことがある。あそこなら、見れる人はなんか見るんじゃないかな?
今度ここを目的地にしてサイクリングするつもり。
WRCの時にトンネル照明が再整備されて明るくなったらしい。通行も危なくない。
もっと懸案事項だった、昔の覚えてるトンネルの道は砂利道で、トンネル内に10か所ぐらい穴があった。WRC開催でトンネル内はアスファルト舗装された。スムーズに走れる。
狭さは相変わらずらしい。
飯田街道沿いは登りだと結構走りにくい場所もあるので、足助から大多賀峠経由で、尾根筋道路通って、伊勢神隧道行って、帰りは飯田街道でパアーっと降って帰ってこようとか思ってる。
後、友人から矢作ダムの赤い橋の所に出れる道があるという情報をもらった。時間的な余裕があれば、もっと迂回するのもきっと楽しい。
今の体力だと、大多賀峠まで上がれるかな?
何に向かって拝んでいたかは知らないが、礼拝所というとこの地方でもう一つ有名なのがある。
場所は長野と岐阜の県堺。恵那山の隣の富士見台高原の一角。ヘブンス園原というスキー場奥に神坂峠というところがある。地図見ると、車も通れるような道路から近いところなので、ドライブする体力があればだれでも比較的簡単に到達できる。