『毎日新聞』によると、河村茂雄・都留文科大教授(心理学)の調査で、教師が教え子に友だち感覚で接する「なれ合い型」の学級でいじめが生まれやすいことが分かったとのことだ。《管理型》と《なれ合い型》に分けた場合、集団的秩序のない《なれ合い型》の方が圧倒的にいじめの温床になりやすいというのだ。現実の学校では、単純に《管理型》と《なれ合い型》とに分けられないのだろうが、《なれ合い型》先生が急増しているのも事実のようだ。特に、「運動や勉強が得意だったり、けんかの強い子供が学級をまとめ、教師が頼りにするケースも多いが、その子供や取り巻きが特定の子供をいじめの標的にし、学級全体が同調した場合、なれ合ってきた教師が止めるのは困難で、助長や加担の恐れもある」という指摘は重要である。
《なれ合い型》先生が急増している背景には、「生徒に好かれたい」「生徒と同じ目線で接してあげたい」などというピュアでイノセントだが短絡的な思考も多いと思うが、「人権」をたてに学校を批判する保護者やマスコミ、それらとのトラブルを避けたがる校長・教頭や教委の前で、先生方は尻込みし思い切った指導、厳しい指導ができていないという面も多いのではないか。
とかく極端に走りやすい日本の社会では、自由主義と管理主義が対立的に捉えられることが多く、とくにそれが政治や市民運動のテーマになった場合には、二者択一的な議論となる。しかし、現実の学校教育の現場では、自由主義教育など有り得ないし、必要でもないのであり、考えるべきは「自由主義的な管理教育」か「閉塞的な管理教育」かという選択なのである。教育基本法改悪問題で、管理か自由かという短絡的議論が浮上してきそうであるが、市民運動やリベラル派と目されるいくつかのブログをみてもこの辺のところが全くわかっていないものが多い。机の上だけの自由をいくら論じても何の解決にもならないし、むしろ「現実」と格闘している先生方がリベラル派から離れていくだけではないだろうか。事実、教育基本法が改悪されれば、生徒指導がしやすくなると考えている先生方も多いようである。確かに、教育基本法が改悪され、「公のため」に「人権」や「自由」に一定の制限が加えられれば、生徒指導は現在よりはやりやすくなる可能性はあるだろう。ただし、その代償は大きいが……。1980年代から1990年代にかけて、「プロ教師の会」と名のる人たちによって、「正当な管理教育」の必要性が唱えられたが、さきのリベラル派と目される人たちのブログにはそういった重要な提言がふまえられておらず、はっきりいえば敗戦直後と同じ議論をしている。残念である。
安倍極右政権がねらう教育基本法とそれに続く憲法の改悪は、いうまでもなく現代史における大切な局面である。だからこそ、特にリベラル派の人たちには丁寧で「現実」を踏まえた議論を展開してほしい。机上で空転する「自由主義」の言葉だけでは、例えば石原慎太郎大先生の杜撰な教育論には勝てないであろう。例え歪んではいても「現実」を踏まえている分だけ、石原の方が説得力をもつからである。
先の河村教授らの「なれ合い型では、当初は教師と子供が良好な関係を保つかに見えるが、最低限のルールを示さないため学級はまとまりを欠き、子供同士の関係は不安定でけんかやいじめが生じやすい。」という指摘を、リベラル派はもう一度噛み締めるべきであろう。
→以前の関連記事「いじめ問題に一言」