●今日の一枚 295●
John Coltrane
Crescent
東北新幹線が「新青森」まで延長され、東北新幹線が全線開通となった。1982年に盛岡から大宮までが開通してから、28年ぶりのことだという。思いおこせば、東北新幹線が開業したのは私が大学生の頃のことであり、この新幹線に期待を込めて乗ったことを思い出す。大学入学のために上京した時にはまだ新幹線はなく、青いラインの入った特急「はつかり」だった。両親は苦しい経済状況の中で、特急の切符を工面してくれたのだと思う。詳しいことはよく憶えていないが、かなりの時間を費やしての上京だったように思う。新幹線開業当時、大宮からはリレー号に乗り換えなければならず、しかもホームが地下3階にある上野駅どまりだった。しかし、その不便さにもかかわらず、たばこを立てても倒れないほど揺れないといわれたその乗り心地は素晴らしいものであり、何より移動時間が大幅に短縮されたことには本当に喜んだものだ。ただ、貧乏学生の身、いつもいつも新幹線に乗れるわけではなく、特に帰省の折には、深夜に走っていた急行「十和田」だったか「八甲田」だったかに乗車したものだ。満員の車内の通路に新聞紙を敷いて雑魚寝をし、出稼ぎ労働者の人達に酒を飲ませてもらい、語り明かしながら帰省したことは懐かしい思い出だ。そこで議論し、教わったことは、自分の人格形成の重要な要素になったのだと今でも思っている。
列車→トレイン、ということで、ジョン・コルトレーンのアルバムを一枚取り出してみた。そのころよく聴いていたアルバムのひとつ、ジョン・コルトレーンの1964年録音盤『クレッセント』である。いい作品だ。数あるコルトレーンのアルバムの中でも、特に好きなものの一つだ。CDで聴いてみたのだが、トレイにのせ、ボタンを押したその瞬間から、大学時代通い詰めたジャズ喫茶の雰囲気が部屋中に充満していった。酒のせいもあり、深夜にもかかわらず思わず音量を上げ、家人に「うるさい」と苦情をいわれる始末である。② Wise One 、何と切ない音楽なのだろう。胸がしめつけられ、どうしていいのかわからなくなる。④ Lonnie's Lament 、哀しみを湛えたサウンドである。トレーンのいいところは、どんなに切なく悲しい音楽でも、それに流されないところだと私は考えている。理詰めの演奏者トレーンには、自分の感情の発露をどこかで理によって踏みとどまるところがあるように思う。踏みとどまるがゆえに、その哀しみが横溢する。何というか、ハードボイルド。トレーンの音楽を、例えば、レイモンド・チャンドラーの小説にダブらせるのは、考えすぎだろうか……。
私が、上京した頃の「はつかり」……。