●今日の一枚 299●
Stan Getz
Stan Getz Plays
昨日・今日と体調を崩してしまった。風邪をひいたようだ。36度台後半から38度程度まで熱が上がったり下がったりで、身体が全体的にだるい。休養を決め込んでベットにもぐりこみ、音量を絞って遠巻きに音楽を聴いた。ああ、いい感じだ……。
かけたCDは、スタン・ゲッツの1952年録音作品、『スタン・ゲッツ・プレイズ』だ。子どもに優しく接する印象的なアルバム・ジャケットそのままに、優しさに満ち溢れたサウンドだ。スムーズで歌心に満ちたアドリブと、なめらかでやさしい音色はいつものことであるが、このアルバムでは、いつにもまして、原曲のメロディーを尊重した演奏が展開される。弱った身体にやさしいアルバムである。
じっと目をつぶって聴いていたら、以前読んだ村上春樹氏のゲッツ評が頭に浮かんだ。「僕はこれまでにいろんな小説に夢中になり、いろんなジャズにのめりこんだ。でも僕にとっては最終的にはスコット・フィッツジェラルドこそが小説(the Novel)であり、スタン・ゲッツこそがジャズ(the Jazz)であった。」(和田誠・村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』新潮文庫)
実に、印象的なことばである。周知のように、村上春樹氏は、大のゲッツ好きであるが、ゲッツに対する過剰ともいえる思いをいつになく熱く語った印象的な一文である。このエッセイの中で、村上氏は例えば次のように語る。「しかし生身のスタン・ゲッツが、たとえどのように厳しい極北に生を送っていたにせよ、彼の音楽が、その天使の羽ばたきのごとき魔術的な優しさを失ったことは、一度としてなかった。彼がひとたびステージに立ち、楽器を手にすると、そこにはまったく異次元の世界が生まれた。」、「そう、ゲッツの音楽の中心にあるのは、輝かしい黄金のメロディーだった。どのような熱いアドリブをアップテンポで繰り広げているときにも、そこにはナチュラルにして潤沢な歌があった。彼はテナー・サックスをあたかも神意を授かった声帯のように自在にあやつって、鮮やかな至福に満ちた無言歌を紡いだ。」
クールな村上氏にしては、過剰ともいえる程多くの言葉を費やしたスタン・ゲッツへのオマージュである。
この思い、うらやましい程だ……。