WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「生きるのがつらいと感じることがある」

2015年03月09日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 424●

Blossom Dearie

Blossom Dearie (verve)

 

 数字のもつある種の客観性は重要である。例えばバスケットボールでは、相手チームに良いプレーがあると、その印象が強すぎて対応を誤ることがある。実際には、そのプレーでやられているのは数点に過ぎず、多くはゴール下の泥臭いオフェンスリバウンドでやられていたりするのだ。だから、HCは必ずスコアを確認する。人間の脳に焼きついてしまった印象を数字のデータで補正するわけだ。実際、豪快なダンクシュートでも2点、平凡にみえるイージー・レイアップでも2点なのだ。勝利するためには、そう判断するクールさが必要だ。

 数日前、震災後の被災者の生活のアンケート結果がニュースになった。約半数の人が「気持ちが前向きになりつつある」と答える一方、43%が「生きているのがつらいと感じることがある」と答えたというのだ。衝撃的な数字ではないか。もちろん、アンケートには質問の内容・構成や集計の方法などに、ある種の恣意性・意図性があることはいうまでもない。それでもやはり、その数字のデータには謙虚になるべきだと思う。

 教師として生徒に接している限り、少なくとも学校という場においては震災の後遺症はほとんど感じなくなっているように思う。中央から来たスクール・カウンセラーが生徒の相談内容の背景に震災の後遺症があるといっても、何かピンとこないものがあり、こじつけのように感じてしまうこともあるほどだ。ただ、よく考えてみれば、家庭の経済状況は間違いなく悪化したはずであるし、震災から4年たつ現在でも経済的な問題を抱える生徒が少なくないことは想像に難くない。また、長引く仮設住まいの中で、両親が不仲ににり、離婚が増加していることはしばしば報告されている。先日の会合でも、震災後に中学生の不登校が急激に増加していることが話題になった。数字のデータがもつ恣意性・意図性を念頭におきつつもやはり、我々はそれに対して謙虚であるべきなのだと思う。その意味では、本当に大変なのはこれからなのかもしれない。

 今日の一枚は、ブロッサム・ディアリーの1956年録音作品の『ブロッサム・ディアリー』である。フランスでカクテル・ピアニストとして活動していた彼女に、ヴァーヴのノーマン・グランツが目をつけ、「アメリカで君の歌を録音したい」と提案して制作された作品のようだ。心地よい、ささやくような彼女の歌声はもちろんなのであるが、哀感を湛えたブロッサムのピアノの素晴らしさも特筆に値する。⑤ More Than You Know にいつも聴きほれてしまう。この曲を聴くたびに、ウイスキーを飲みながら、彼女の演奏をLiveで見てみたかったと夢想する。ブロッサム・ディアリーが84歳でその生涯を終えたのは2009年だった。2006年までステージで歌っていたとのことだ。その気になれば、Liveをみるチャンスもあったのかもしれない。大切なことに気付いた時にはもうそれは終わっている。いつもそうだ。

 今、⑦「春の如く」が流れている。ピアノも歌も素晴らしい。何ともいえぬ心地よさだ。いいなあ・・・。