WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

大学生の成績通知表

2015年03月23日 | 今日の一枚(C-D)

今日の一枚 428●

Claude Williamson

'Round Midnight

長男の通う大学から「成績通知表」なるものが郵送されてきた。情報公開の観点から、毎年一回、3月に郵送するのだという。親としては息子の成績にはやはり興味がある。高校時代ですら見せてもらえなかった息子の成績表であればなおさらである。けれど、翻って、ちょっとやり過ぎではないかという思いもある。大学生ともなれば、親の管理から自由にしてやらなければならないのではないか。心配なことは多々あるが、そうでなければいつまでも大人にはなれないのではないかと思う。私の頃は、もちろん成績表の親への郵送などはなかった。学生それぞれが教務課にもらいにいくというシステムだったように記憶している。中には、成績表すら取りにいかない「不良学生」も結構いたものだ。それがいいかどうかは別にして、少なくともそのことを通して、良くも悪くも表面的な成績という呪縛から自由になっていった気がする。それは学問を軽視するということではなくて、成績表の評価とは違う次元で、学問の価値や崇高さを確かに感じていたように思う。

ところで、現代の大学では成績全体の評価として"GPA"なるものがあるようだ。GPAとはGrade Point Averageのことであり、成績の平均値のようなものだ。長男の大学を例にとれば、A評価を4.0、B評価を3.0、C評価を2.0、それ以下を不認定の0として換算し、(4.0 × Aの修得済単位数 + 3.0 × Bの修得済単位数 + 2.0 × Cの修得済単位数)÷履修科目総単位数、という算式で求められる。したがって、4.0を最高点に、それにどれだけ近いかで成績の良さを表したものということになる。不認定の単位数も分母(割る数)に換算されることで、単位を落とせばGPAが著しく低下することになる、おちおち単位を落とすこともできないしくみだ。このGPAの数値が、就職や大学院進学の成績評価や、奨学金申請などに使われるのだそうだ。親としては、息子の勉学のレベルをとりあえず認識できる反面、このような数値に縛られる現代の大学生を可哀そうにも思う。成績をGPAという数値で示されると、親としてはやはりその数値が高いことをのぞむようになり、つい、勉学に励めなどと口走ってしまいそうになるものだ。

"白いバド・パウエル"と呼ばれたクロード・ウイリアムソンの1956年録音作品の『ラウンド・ミッドナイト』である。彼が敬愛するバド・パウエルの愛奏曲を中心に構成された作品である。鬼気迫るような"呪われた部分"に属するような作品ではない。その意味ではB級作品なのだろう。けれども、なぜだろう。聴けば聴くほど、良さが身に染みてくる。小気味よいスウィング感の中にも、滋味深さを感じさせる作品だ。⑤ ムーンビームスは、淡々とした中にも哀感と歌心を感じさせる、他とは一味違った演奏で、印象深い。

クロード・ウィリアムソン(p) / レッド・ミッチェル(b) / メル・ルイス(ds)