王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

遊覧船「はまゆり」屋根から撤去完了

2011-05-11 11:55:04 | 東日本大震災
津波で民宿の屋根へ「はまゆり」撤去作業開始(読売新聞) - goo ニュース

東日本震災による津波の恐ろしさを象徴する様な眺めでしたね。
津波が引いた後岩手県大槌町の民家の屋根に遊覧船がデンと鎮座ましましていました。
この船釜石市所有の遊覧船で大槌町で点検中に流されたとか。隣の釜石市から漂流して来た訳ではなかったのですね。

当時はあたり一面が瓦礫の山でしたからどうしようもない状態でした。
でも震災からざっと2ヶ月自衛隊や各部門の活躍で道路や周辺部から瓦礫が撤去されたようです。
昨日10日造船業者が2台のクレーンを使い100トン(とはこの船の重量でしょうか?)無事地上に落ち着きました。
当初からコロをかませて海まで運ぶとか吊り上げて海に戻すとかアイデアが有りました。
浜爺も大型クレーンを持ってくれば海に戻せるのではなんて素人考え。

当時は海までの誘導路が確保できない、大型クレーンが調達できないとの事で民宿の二階に鎮座のままでした。
地上に降りた姿の画面からは海への牽引か吊り上げは可能の様にも見えるのですがいろいろ困難な問題があるのでしょう。
今日11日から地上で燃料の抜き出しそしてブロックごとに解体して撤去との事。
まあ船主、保険業者と造船業者が入っての判断ですからそれが一番合理的解決法なのでしょう。素人目には一寸「勿体無い」様にも見えました。
ついでながらクレーん車はその前後にも辺りの船を岸壁から海に戻していました。頑張って下さい。


読売新聞:
東日本大震災の津波に流され、岩手県大槌町の民宿の屋根に乗り上げた遊覧船「はまゆり」の撤去作業が10日、始まった。

 この日午後、造船業者がクレーン2台を使い、109トンの船体を、高さ約5メートルの屋根からゆっくりと平地に降ろした。11日以降、燃料を抜き取り解体し、来月上旬頃には作業を終える。

 はまゆりは、同県釜石市所有で1997年に就航。釜石湾内の周航に使われており、隣の大槌町で点検中に流された。津波の恐ろしさを伝えるモニュメントとして保存する案もあったが、住民に恐怖感を抱かせるとして解体が決まった。(引用終わり)


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川内村での一時帰宅終了

2011-05-11 07:25:13 | 福島原発事故
川内村での一時帰宅終了、通帳や衣類持ち帰る(読売新聞) - goo ニュース

昨日10日村の一部が福島第一原発から20キロ圏内に入り「立ち入り禁止」になっていた川内村で「一時帰宅」が行われました。
夕刻のTVニュースでは(多分住民の方がビデオで撮った)帰宅途中の映像が流れました。
何と洗い立てのように見える木々の新緑の間を通って自宅に向かっていました。
その後も(これは同行取材かも?)映像が続き牛を飼っていた牛舎とか室内でアルバム等を探す映像が流れました。
一寸目には地震による家具の乱れは目に付きましたが家屋が損壊してるとか道路が陥没とか地割れは無いようです。
恐らく住民の方の大半は原発事故による放射能被害を避ける為の「20キロ圏外退避」だったのでしょう。
改めて住民の方の無念さが判りました。

70センチ四方のビーニール袋に詰めて持ち帰った物は皆さん様々だった様です。
自衛隊のトラックでも提供してせめて大型旅行トランク一個位は何とかならなかったのかと思いました。
今回の一時帰宅計画の評価をきちんとして他の市町村の帰宅計画に生かして欲しいものです。
住民の方が「一時帰宅」でなくずーっと戻りたいと語っていた場面に胸が詰まりました。
こればかりは「福島原発の安定化が実現」がまず先ですからもう少し時間が掛かりそうです。
その後で残留放射能の程度によって「居住は可能」「(農作物は)自給自足なら可能」「居住も生産も制限無く可能」とかいろいろな生活形態が見えてくるのでしょう。
それは又新たな問題を生み出すのですが今は「原発の安定化」を見守りましょう。
皆さん頑張って下さい。


追記:昼前TVのニュースをちらと見ましたが「帰宅住民」に「自己責任で帰宅する」旨の念書を取ったそうです。
菅首相がやったとは思いませんが少なくとも町や県の意思ではなさそうです。
大臣なのか官僚なのか誰なのか「自己責任の念書」を発想した元を糾さないといけませんね。こういう事から菅首相の「首相手当て?」の返上が絵空事に見えてしまうのですよね。


写真:時事通信

読売新聞:
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、立ち入り禁止となった20キロ圏内の警戒区域で10日、住民の一時帰宅が初めて行われた。

 福島県川内村の住民54世帯92人が、白い防護服を身につけ約2か月ぶりに自宅に戻り、必要な品々を持ち帰った。

 一時帰宅した住民の累積放射線量は1~10マイクロ・シーベルト(暫定値)で、除染は必要なかった。政府の原子力災害現地対策本部は「健康への心配がないレベル」としている。その一方で滞在を2時間に制限しており、住民から「通帳や衣類くらいしか持ち帰れない」と不満の声が出た。

 一時帰宅は12日に川内村の第2陣と葛尾村で実施され、今月中には他の7市町でも行われる予定。
(引用終わり)
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