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王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

鬼太郎の生みの親 水木しげるさん 逝去 !!

2015-12-01 08:25:33 | 社会
「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが死去 93歳
30日漫画家の水木しげるさんが逝去されました。
93歳だったそうです。男性ですから何事もなければ大往生ですが先生は11月に自宅で転倒し頭を打って硬膜下出血で入院されていたそうです。
それが直接の死因と関係があるのかわかりませんが手術により抵抗力が落ちて最後は敗血症で多臓器不全で逝かれたのでしょう!!

謹んでご冥福をお祈りします。     合掌

報道で思い出したのですが漫画雑誌「ガロ」に「墓場の鬼太郎」が載ったのが昭和39年ころだそうですから抜け忍を主人公の「さすけ」やをテーマの「カムイ伝」に浜爺が夢中になった頃と重なりそうです。

その後墓場の鬼太郎は「ゲゲゲの鬼太郎」と改題され漫画週刊誌に乗ったりTVで映像化されて有名になりました。
浜爺の子供たちは「鬼太郎や目玉おやじ」勿論ぬりかべとか一反もめんなどを知っていますよ。

数年前にはNHKで「ゲゲゲの女房」が放映されもう一世代若い人にも人気がでて郷里の境港では「鬼太郎の像」を目玉に観光客誘致の目玉になるほどで結構なお働きでした。
声高に反戦を叫ぶ方ではありませんが「鬼太郎」のほかに「戦地における二等兵の悲話」を取り上げ戦争の悲惨さを訴えていました。
水木氏も昭和19年にはラバウルで米軍の空襲で左手を失う重傷を負い辛うじて命拾いされていました。
昭和がまた一つ消えてしまいました。
めてご冥福をお祈りします。


写真:元気な頃の水木さん

産経新聞:
「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの人気漫画家で、文化功労者の水木しげる(みずき・しげる、本名・武良茂=むら・しげる)氏が30日午前7時18分、多臓器不全のため東京都三鷹市の病院で死去した。93歳。鳥取県出身。後日、お別れの会を開く。

 11日に東京都調布市の自宅で転倒し、頭を打って入院していた。

 大正11年、大阪で生まれ、間もなく鳥取県境港市に移った。早くから絵の才能を発揮し、13歳で油絵の個展を開き、新聞の地方版に「天才少年」と紹介された。

 高等小学校卒業後、15歳で大阪の石版印刷会社に就職したが2カ月で解雇。美術学校に通った。18年に徴兵され出征し、激戦地ニューブリテン島のラバウル戦線でマラリアを発病、空襲で左腕を失った。

 21年に帰国し、26年から「水木しげる」のペンネームで紙芝居作家として出発し、32年に上京。39年、劇画誌「ガロ」の中心作家となり、40年から「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」を連載、代表作「鬼太郎」シリーズは「ゲゲゲの鬼太郎」と改題、43年にテレビアニメ化されて大ヒットし、世代を超える人気キャラクターを生んだ。

 平成3年、紫綬褒章受章。8年、日本漫画家協会賞文部大臣賞、10年、児童文化功労賞を受賞。15年には、手塚治虫文化賞特別賞と旭日小綬章を受け、22年に文化功労者。妻の布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」を原案にして22年、同タイトルのNHK連続テレビ小説が放送され、人気を呼んだ。25年6月には『水木しげる漫画大全集』第1期が配本、現在は第2期が刊行されている。
(引用終わり)





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