王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

藤村俊二さん 逝去 !!

2017-02-02 07:53:24 | 社会
藤村俊二さん死す…82歳心不全、愛称のように“ヒョイ”と天国へ

昨日1日タレント藤村俊二」さん(82)の密葬がおこなわれたそうです。
先月25日には心不全で小田原の入院先で静かに亡くなられたそうです。
謹んでご冥福を」お祈りします。

藤村さんと聞くと「白髪と白いひげでひょうひょうとした印象です身ぎれいな格好でインタビューに応じる」姿が目に浮かびます。
「ぶらり途中下車の旅」のナレーターをやっていましたね。

藤村さんと聞くと昭和9年会が思い出されます。
男性の平均余命が80歳と言われています。底から見ると藤村さんも2年前から幸運頼みに入っていました。下にコピペした記事によれば」数年前から厳しい闘病生活を続けていた様です。
9年会の元会員では坂上次郎、長門裕之、愛川欣也そして大橋巨泉さんたちがなくなるたびに会のメンバーが引き合いに出されていました。まだご存命で浜爺が名前を顔のわかる方は財津一郎、宝田明さん他がいます。
2015年より前に亡くなった方は80歳前に旅立たれました。
80歳前後に成ったら余り病気やけがと戦わず静かに逝きたいものです。
改めて藤村さんのご冥福をお祈りします。 合掌。


写真:元気なころの藤村さん(2000年)

サンスポ゚:
“おヒョイさん”の愛称で親しまれたタレント、藤村俊二(ふじむら・しゅんじ=本名同じ)さんが先月25日午後8時45分ごろ、心不全のため静岡・御殿場市の病院で死去していたことが1日、分かった。82歳だった。この日、元妻の長男が会見し、藤村さんは2年前に小脳出血で倒れ治療を続けていたことや、61歳で再婚した28歳下の妻と2013年に離婚していたことを明かした。

 コメディアンや俳優、ナレーターなど多彩な才能を発揮。とぼけた味わいで人気だった藤村さんが、人生の幕を閉じた。

 所属事務所社長で長男の藤村亜実さん(50)が1日、東京都内で会見。「亡くなった日の夕方から血圧が下がりはじめ、ゆっくりと心臓が止まった。穏やかな最期でした」と語った。亜実さん1人が看取ったという。

 この日、東京・上野の宗源寺で営まれた密葬には、親族のほか友人の萩本欽一(75)、堺正章(70)、黒澤久雄氏(71)ら約30人が参列。会葬礼状には「塩どき」と題した藤村さん直筆の辞世の思いが印刷された。14日正午から東京・神宮前の慈雲山長泉寺で一般も参列できる献花の会が開かれる。

 若いころから丈夫だったが、愛煙家でもある藤村さんは54歳のとき肺気胸で左肺を摘出。57歳で胃がんのため胃の3分の2を切除する手術を受けた。その後も大動脈瘤にかかったが、いずれも克服。だが、2015年10月に小脳出血で倒れた。

 その直後、ナレーションを務める日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」を降板し、千葉県内の病院に入院。昨年4月に御殿場市内の病院に転院した。昨夏から肺炎を繰り返し、徐々に容体が悪化。最後の親子の会話は昨秋、亜実さんが「親父でいてくれてありがとう。息子でいられて幸せでした」と語りかけると、「俺もだ」と言ってくれたという。

 藤村さんは、亜実さんら姉弟の母にあたる30年連れ添った元夫人の慶子さんと60歳のときに離婚。61歳のときに28歳下の元タレント、みか代さん(54)と再婚したが、亜実さんによると、13年12月に離婚。その後は亜実さんと2人暮らしだった。

 若いころは振付師として活躍した藤村さん。1969年に始まったザ・ドリフターズの「8時だョ! 全員集合」などの振り付けを担当。その後、表舞台に進出し、「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」「ぴったし カン・カン」などのバラエティーに出演して人気者に。俳優としても映画「ラヂオの時間」などに出演した。

 愛称の「おヒョイ」について本人は「ヒョイといなくなるから付けられた」と証言。しかし、友人からは「どんなささいなことにも気がつくし、器用にヒョイヒョイやってのけるから付けた」ともいわれた。人生哲学は「いつもやりたいことをやる」。82年の歳月を、ひょうひょうと生き抜いた粋な人生だった。

★棺にはお気に入りスーツ

 会葬礼状につづられた藤村さん直筆の辞世の思いは「このまま此処(ここ)に居ては格好悪くなると思った時に其処(そこ)から居なくなる時」。棺にはお気に入りのグレーのスーツと、好きな色だったピンクのシャツ、ポーチが入れられた。

★おヒョイさんエピソード

 ◆振付師 TBS系「8時だョ! 全員集合」のオープニング♪エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ…やレナウン「イエイエ」のCMの振り付けを担当した。「−全員集合」は藤村さんいわく「腕、肩を順番に触るだけの単純な動作だが、忙しく踊っているように見える振り付けにした」

 ◆ヘアスタイル 若いころは黒髪に染めたアフロヘアがトレードマークだったが、胃がん手術を受けた57歳のときから毛染めをやめ、自然な白髪と白い口ひげがダンディーと評判になった

 ◆英語が堪能 日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧し、英仏を回ってパントマイムを学び、その後もたびたび海外へ旅行。英会話が得意だった

 ◆ワインバーのオーナー 96〜10年に東京・南青山で「O’hyoi’s(オヒョイズ)」を経営。本人いわく「ジャズを聴きながらフランスワインを飲み、日本人の口に合う西洋料理を食べる。自分でもそんな大人の時間を過ごせる店がほしかった」

藤村 俊二(ふじむら・しゅんじ)

 本名同じ。1934(昭和9)年12月8日生まれ。神奈川・鎌倉市出身。映画館を経営していた父親の影響もあり、早大文学部演劇科に進学したが、踊りや演技に夢中になり2年で中退。日劇ダンシングチームに入った後、振付師に転向した。その後はタレントとしてバラエティー、ドラマ、映画、舞台、ナレーションで活躍。品のあるとぼけた口調や演技で幅広い世代に親しまれた。
[引用終わり)
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