歌丸さん、最期は眠るように…小遊三さんら会見
去る2日月曜日昼前落語家の桂歌丸師匠が亡くなった事を知りました。
満81才 来月で82才になる直前の訃報でした。
ここ数年骨折や肺炎などで入退院を繰り返していた様ですがまだ81才とは印象の割に若いなーと思いました。浜爺と比べても5歳ほどの差にすぎません。
2年ほど前には長年司会を務めたTV番組「笑点」の司会を勇退され春風亭昇太師匠に譲り引退かと思いきや鼻に酸素チューブを付けて口座に上がるなど最後まで落語道の追及に邁進されていました。
昨日昼黒紋付きに袴姿の昇太師匠や小遊三師匠他4人のTV映像を見ましたがこれは落語芸術協会の幹部による追悼の会見でした。歌丸師匠は協会の会長、最近では副会長の小遊三師匠が会長代行を務めていました。
「笑点」でのおふざけと違って歌丸師匠の人柄の伝わる良い会見でした。
偶然ですが昨年暮れNHKのファミリーヒストリーで歌丸師匠のそれを知りました。3歳の時お父さんが亡くなりお母さんが郷里に戻る事情、その後真金町で遊郭を営む祖母に育てられた話を丁寧に追っていました。
終戦の年の5月の横浜大空襲、終戦後のどさくさ 師匠の生きた時代は浜爺の生活とほとんど重なります。
よくもまあ大変な時代を落語一筋で生き抜いたものです。師匠は「笑点」外ではの下の横浜にぎわい座の2代目館長として地域の振興と若手の発掘に力を入れ加えて横浜橋商店街でも名誉会長?でこれまた地域の新興に努めていました。
余り有名人のいない横浜ですが地味にしっかりと活動されていました。
又一つ昭和の時代が終わりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。 合掌
写真:落語芸術協会会見
読売新聞:
人気演芸番組「笑点」の前司会者で落語家の桂歌丸さんが81歳で亡くなって一夜明けた3日、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会の会長代行、三遊亭小遊三さん(71)、弟弟子の助さん(70)らが東京都内で記者会見した。
歌丸さんは4月下旬に入院、病状は一進一退を繰り返したが、最期は眠るように安らかだったという。
小遊三さんは「本当に寂しい。6月26日に私がお見舞いに行ったらすごい迫力で『協会らしい色を出してくれ』と頼まれた。30日には歌丸さんの弟子が『俺が死にそうなのにお前たちは来ない!』と小言を食った。これが最後の小言で……」と、神妙さの中にもユーモアを交えて先輩をしのんだ。
(引用終わり)
去る2日月曜日昼前落語家の桂歌丸師匠が亡くなった事を知りました。
満81才 来月で82才になる直前の訃報でした。
ここ数年骨折や肺炎などで入退院を繰り返していた様ですがまだ81才とは印象の割に若いなーと思いました。浜爺と比べても5歳ほどの差にすぎません。
2年ほど前には長年司会を務めたTV番組「笑点」の司会を勇退され春風亭昇太師匠に譲り引退かと思いきや鼻に酸素チューブを付けて口座に上がるなど最後まで落語道の追及に邁進されていました。
昨日昼黒紋付きに袴姿の昇太師匠や小遊三師匠他4人のTV映像を見ましたがこれは落語芸術協会の幹部による追悼の会見でした。歌丸師匠は協会の会長、最近では副会長の小遊三師匠が会長代行を務めていました。
「笑点」でのおふざけと違って歌丸師匠の人柄の伝わる良い会見でした。
偶然ですが昨年暮れNHKのファミリーヒストリーで歌丸師匠のそれを知りました。3歳の時お父さんが亡くなりお母さんが郷里に戻る事情、その後真金町で遊郭を営む祖母に育てられた話を丁寧に追っていました。
終戦の年の5月の横浜大空襲、終戦後のどさくさ 師匠の生きた時代は浜爺の生活とほとんど重なります。
よくもまあ大変な時代を落語一筋で生き抜いたものです。師匠は「笑点」外ではの下の横浜にぎわい座の2代目館長として地域の振興と若手の発掘に力を入れ加えて横浜橋商店街でも名誉会長?でこれまた地域の新興に努めていました。
余り有名人のいない横浜ですが地味にしっかりと活動されていました。
又一つ昭和の時代が終わりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。 合掌
写真:落語芸術協会会見
読売新聞:
人気演芸番組「笑点」の前司会者で落語家の桂歌丸さんが81歳で亡くなって一夜明けた3日、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会の会長代行、三遊亭小遊三さん(71)、弟弟子の助さん(70)らが東京都内で記者会見した。
歌丸さんは4月下旬に入院、病状は一進一退を繰り返したが、最期は眠るように安らかだったという。
小遊三さんは「本当に寂しい。6月26日に私がお見舞いに行ったらすごい迫力で『協会らしい色を出してくれ』と頼まれた。30日には歌丸さんの弟子が『俺が死にそうなのにお前たちは来ない!』と小言を食った。これが最後の小言で……」と、神妙さの中にもユーモアを交えて先輩をしのんだ。
(引用終わり)