近代5種が五輪競技に入っていることは薄らぼんやり知っていましたが「日本選手が出場して前評判もなく銀メダル」とは驚きました!!
112ねんお歴史で初めての快挙とはさらに驚きです。
【<パリオリンピック(五輪):近代五種>◇10日(日本時間11日)◇男子決勝◇ベルサイユ宮殿
【ベルサイユ(フランス)=木下淳】112年の歴史で初めて扉が開いた。初出場の佐藤大宗(30=自衛隊)が、日本勢初の銀メダルを獲得した。馬術、フェンシング、水泳、レーザーラン(射撃とラン)で争い「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれる伝統競技の表彰台に、初めて日本人が立った】と報じられました。
佐藤選手は自衛隊員の様で、入隊以降「近代5種」を始めたそうですから遅いスタートですよね! そういえば他国でも軍人さんが活躍しているのを思い出しました。
当人の努力もさることながら「思いがけない銀メダル」とはラッキーな感じです。 おめでとうございます。!!!
写真:近代五種で日本勢初のメダルを獲得した男子2位の佐藤大宗(撮影・木下淳)
日刊スポーツ:
<パリオリンピック(五輪):近代五種>◇10日(日本時間11日)◇男子決勝◇ベルサイユ宮殿
【ベルサイユ(フランス)=木下淳】112年の歴史で初めて扉が開いた。初出場の佐藤大宗(30=自衛隊)が、日本勢初の銀メダルを獲得した。馬術、フェンシング、水泳、レーザーラン(射撃とラン)で争い「キング・オブ・スポーツ」と呼ばれる伝統競技の表彰台に、初めて日本人が立った。
近代五輪の父、クーベルタン男爵が競技の発案者。1912年ストックホルム大会から採用されている伝統種目だが、その過酷さから日本では入賞者すらいなかった。
佐藤も、前回21年の東京五輪には出ることもできなかっただけに「支えてくれた方々に心から感謝しかない。自分1人では獲得できなかったメダル。皆さんで取った、価値あるメダルだと思ってます」と4年後の達成感を、万感の思いで語った。
「日本勢初を、ベルサイユ宮殿で。1万6000人のお客さんからのエールをもらいながら、最高のパフォーマンスをできたこと。『生きてて最高だな!』って思ってます」
青森県出身で、地元に向けては「青森の星になりたいと思っていたので『努力すれば、地元の星になれるんだぞ!』ってことを伝えたい。感極まって、何を言ってるか分からないんですけど、青森、最高です!」と喜びを爆発させた。
今大会は馬術で2位、フェンシングは6位で総合2位、続く競泳で総合4位に後退したものの、準決勝B組を1位通過。最終種目「レーザーラン(射撃とラン)」で巻き返した。
「フェンシングのランキングラウンドは、海外の強い選手ばかり集まっていた中、ベストパフォーマンスを出せた。この36人で戦えることは一生に1度。馬も1頭1頭に感謝しかない。とにかく3日間、死ぬ気でベストを出せたことが、この結果につながった」と胸を張った。
青森山田中高では水泳部に所属。海上自衛隊を経て自衛隊体育学校に入校後、競技を始めた。23年ワールドカップ(W杯)ソフィア大会で日本の個人初となる銀メダルを手にし、がぜん期待されていた「五輪でも初」を成し遂げた。クーベルタン男爵の母国での達成も、より日本にとって付加価値の高いタイミングとなった。
自衛隊の近代五輪班では「エペジーーン」ことフェンシング男子エペ団体で五輪2大会連続メダル(金銀)の山田優(山一商事)らと練習したこともある。今大会も個人金の加納虹輝(JAL)ら世界一の選手たちから、当地で技術を教わっていた。
◆佐藤大宗(さとう・たいしゅう、自衛隊=近代五種男子) 青森山田中、高時代は水泳部。自衛隊体育学校で競技を始めた。21、23年に全日本選手権を制覇。23年ワールドカップ(W杯)ソフィア大会で日本勢個人初メダルの2位。30歳。青森県出身。
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