13日、作家にしてノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏が3日、老衰の為88歳で逝去されていたと報じられました。
夕刻のTVニュースでは愛媛県の市部で「新聞の特別版で逝去の急報」を配っている映像が流れました。生誕地が愛媛県の現・内子町の関連の様でした。
謹んで哀悼の意を捧げます。 合掌
とは言っても、知識として大江氏の経歴を知っていても、同氏の作品については全くの「不導体」でした。全く先品を読んだことが有りません。
高校の終わり頃、吉川英治氏、山岡荘八氏などに始まって司馬遼太郎氏、イザヤベンダさん事山本七平氏等の作品は読み漁りました。残念ながら大江氏の作品はどれ一つ読んだ記憶がないのです。 汗>😰
遅ればせですが「万延元年のフットボール」を読んでみようかと思っています。
写真:大江健三郎氏
時事通信:
現代人の魂の救済をテーマに文学的な思索を重ね、日本人で2人目のノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが3日、老衰のため死去した。88歳だった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻ゆかりさん。後日お別れの会を開く予定。
愛媛県大瀬村(現内子町)生まれ。東京大仏文科在学中に作家デビューし、1958年に「飼育」で芥川賞を受賞した。戦後民主主義世代の文学の旗手となり、右翼少年の内面を描いた「セヴンティーン」や「性的人間」などで注目された。
知的障害を抱えた長男光さんの誕生が転機となり、64年に「個人的な体験」を発表。実人生を基にした小説で、後の「新しい人よ眼ざめよ」などに連なる作品群の基点になった。
広島の被爆者らを取材し、65年にノンフィクション「ヒロシマ・ノート」を刊行。その後も「沖縄ノート」などを発表し、戦後日本が抱える問題に正面から向き合った。
67年、故郷の森を舞台に人間の再生を描いた「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞を受賞。「同時代ゲーム」でも豊かな想像力を用い、四国の村の歴史を神話化した独自の世界観を築いた。
94年、ノーベル文学賞を受賞。日本人作家では68年の川端康成以来の快挙となった。川端のスピーチ「美しい日本の私」と対比させた「あいまいな日本の私」と題して講演し、平和への切実な思いを語った。
「燃えあがる緑の木」「取り替え子(チェンジリング)」など、その後も創作意欲は衰えなかった。大江健三郎賞(2006~14年)などを通し、若手作家の活躍も後押しした。
行動派の文化人として政治的な発言を続け、04年に護憲団体「九条の会」を結成。東日本大震災後には脱原発運動にも携わった。
(引用終わり)
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