王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

亡き梓みちよさん葛藤40年「赤ちゃん」封印解く

2020-02-04 09:55:35 | 海外
昨日3日歌手の梓みちよさん(76)が亡くなっていた事が判りました。
先月29日マネージャーが都内の自宅を訪れて亡くなっているのに気づいたとか。
死因は心不全で葬儀は近親により2日に執り行われたそうです。
ご婦人としては寿命というより、やや早いお迎えの様な気がします。
先月21日宍戸錠さんが亡くなった時、ここをクリック⇒書いたのですが、名前を聞いて顔とその頃の様子が思い浮かぶ芸能人が本当に少なくなりました。
昭和も2桁世代、それも戦前まで(昭和10年から20年)の人が亡くなりだしました。
梓みちよさんは何と言っても「今日は 赤ちゃん」の曲の大ヒットで一世を風靡しました。 当時、長男坊が2-3歳で妹の枕もとで「回らない舌で、この“今日は 赤ちゃん”を歌っていた」のを思い出しました。
ご冥福をお祈りいたします。    合掌

写真:元気な頃(2006年)の梓みちよさん

日刊スポーツ:
「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」などのヒット曲で知られる歌手の梓みちよさんが亡くなっていたことが3日、明らかになった。所属事務所が発表した。76歳だった。
所属事務所によると、出演予定の番組の打ち合わせのため1月29日午後にマネジャーが都内の自宅を訪ねたところ、亡くなっているのが見つかったという。死因は心不全とみられる。昨年末まではとても元気な様子で仕事をこなしていたといい、「少し膝が悪い以外は病気1つなく、パワフルに仕事をされていたので、本当に急なことで驚いています」とした。遺族の意志により、今月2日に近親者のみで葬儀が執り行われたという。お別れの会の開催などは未定。
梓さんは福岡市で育ち、福岡女学院高を2年で中退、宝塚音楽学校へ。在学中に渡辺プロのオーディションに合格し、1962年「ボッサ・ノバでキッス」で歌手デビュー。63年「こんにちは赤ちゃん」をリリース。NHK紅白歌合戦にも初出場した。その後「二人でお酒を」「メランコリー」など多数のヒット曲を発売。歌手業以外にも、テレビ「新婚さんいらっしゃい」「11PM」などの司会や、舞台でも活躍した。
「こんにちは赤ちゃん」はミリオンセールスとなり、日本レコード大賞を受賞。翌64年には、昭和天皇の前で同曲を歌った。同曲の大ヒットは、喜びの一方で、苦しみも生んだ。06年に日刊スポーツの取材に応じた際には、「何を歌っても『こんにちは赤ちゃん』には、かなわない。重すぎて耐えられない、と思った時期もありました」と当時の心境を明かしていた。
74年リリースの「二人でお酒を」は、あぐらをかきながら歌うスタイルが話題になった。大人の女のイメージにも転換し、ディナーショーの仕事も増えていた。「お酒の席で赤ちゃんの歌は歌えないと考えて『こんにちは赤ちゃん』を封印していたんです」と話していた。
02年の40周年コンサートで、「こんにちは赤ちゃん」の封印を解いた。06年には、「この曲は私にとって世に出してもらうきっかけであり、一番の宝物だから、大切にしよう。40年かかって、そんな気持ちになれたから、アンコールの最後に、やっと歌えたんです」と明かしていた。
◆梓(あずさ)みちよ 本名・林美千代。1943年(昭18)6月4日、福岡市出身。引き揚げ先の同市で育ち福岡女学院高に進学。中退し宝塚音楽学校へ進むが、在学中渡辺プロのオーディションに合格。「メランコリー」など多数のヒット曲がある。テレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい」で桂三枝(現文枝)の2代目アシスタント、日本テレビ系「11PM」のアシスタントなどバラエティーや舞台でも活躍。NHK紅白歌合戦は10回出場した。

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