19歳の一時期、出来ない土木作業員として天六の商店街なんぞを闊歩していた
「このボケ!なんぼ言うたら分かんねん」
「工具の名前ぐらい覚えとけドアホ!」
とか毎日怒鳴られ、いびられながら
それでも土方を辞めずにかわいいアイドル顔!の青年は
海千山千の土方のプロの中でもがいていた
「ええか、飯屋に入ったら最初に手元(助手)が皆に茶ぁ~つぐんや」
「きっちゃてん、に入ったらタバコ盆皆に回すねん、ええか分かったんかい!」
それでも毎日、仕事前に喫茶店のモーニングサービスを食べに入るんだが勘定はいつも先輩土方が払った
仕事に慣れた頃、飯屋で割りばしを咥えて片手をズボンのベルト下に突っ込んでいる自分がいた
(わしもいっぱしの土方や)
20歳の頃
かわいいエイドさんとして病棟勤務をしていた
「ひろ造くん、ちょっとこっちの患者さんのお尻を持ち上げてぇ」
「は~~~い」♪
とか何とか言いながら
真っ赤なスタジャンを着て銀座を闊歩していた
看護師さんに
「エイドって助手の意味じゃないですか、大阪の土方の世界では‘手元,って言うんですよ」
「ははは」
とか何とか言ってたな
あの時、大阪を脱出して良かった