他所さんのブログにも‘太陽の塔,の事が書かれていた。
太陽の塔、もう今から50年近く前の1970年
三波春夫さんの・・こんにちは~♪こんにちは~♪の曲で始まる大阪万博のシンボルタワーだ
8歳の僕も家族5人で千里ニュータウンの団地に住む叔父の家に厄介になり何日か万博会場に出かけた
どこをどう見て回ったのか記憶に無いが、外国のパビリオンでインド系のコンパニオンの人に握手をされた事を覚えている
確か山田洋次さんの映画‘家族,の中で北海道に移住する貧乏な家族が旅の途中、万博会場の入り口を前に故郷の金貸しとばったり出会う
母親役の倍賞千恵子に金貸しが嫌味を言う・・確か爺さん役が笠智衆だ
あの映画が撮られたのがこの年1970年
日本が高度成長時代の真っただ中、ようやく家族旅行が実現出来るようになった頃大阪万博が開かれた
僕自身、万博の記憶はあまり残っていないが、世話になった叔父の暮らす千里ニュータウンの団地の暮らしが
田舎者の小さな僕にはすごくおしゃれに鮮烈な記憶が残った、整然と整った道路に広々とゆとりのある区画の団地
大きな窓にベランダ、トイレはもちろん水洗で我が家のボットンとは隔世の感があった
なにしろニュータウン全体が広々としていた。
僕も大きくなったら絶対千里ニュータウンの団地に住むんだと小さな心に思った
それから10年が経ち茨木市に住むようになって万博跡地の万博公園にたびたび公園に遊びに行った
万博公園で万博の遺物と言えばこの太陽の塔だけだった
兄が千里丘に住んでいたので兄に借金の無心に行くたび、その近くに太陽の塔が見えた
太陽の塔を見たのは兄に借金をしに行ったその日が最後だ
たまにテレビに太陽の塔がうつると大阪での生活が思い出される
大阪で暮らした時の写真はあまり残っていないが1枚だけ太陽の塔を背に僕がフリスビーをしている写真がある
その後、僕は東京に上京して1度も太陽の塔は見ていない
千里ニュータウンに住む夢も叶わなかった
でも、あのまま太陽の塔が暮らしにある人生を送っていたらその後の僕の人生はどうなていただろう?
今の家庭とは別の家庭があり、たぶん今とは違う仕事をしている
人間の人生の岐路なんて分からんな