時は移ってとある東京の近郊県
(なんじゃ?)
その日も病棟でちんたらジジババをもみもみしていたら
見慣れない白衣とピンクのエプロンをしたかわいい女の子がいた
看護の実習生だ
僕もその頃、23~4の遊びたい盛り
何と言って親しくなったのか忘れたが
「クリスマスの日どっかに行こうよ、どこに行って見たい?」
「私、栃木の田舎もんだから東京に行って見たい」
「へっ!」
と言う訳で、クリスマスのその日いつものパチンコ屋通いで金が無いので
そっとマルイのカードで5万円借りて彼女と東京に繰り出した
東京と言っても僕は東京をよく知らず
女の子と昼間デートなんかもした事が無かった
ふだん女の子と行くのは飲み屋だけ
それでも赤坂はよくパチンコを打ちに行ったので
赤坂の街とホテルニューオオタニぐらいは知っている
ニューオオタニで飯食ってホテルに入っている高級ブランド店のショーウィンドウを眺めていたら
大きなクマのぬいぐるみが置かれていた
彼女が・・
「かわいい!」
と言った
値段を見たら4万円近かった
もうその頃、僕はスケベ根性で頭がおかしくなっているもんだから
「買うたるわ!」
「えっ!ほんとうれしい!」
そいでもってかわいくも無い大きなクマのぬいぐるみを買わされた
うれしそうに、そのクマのぬいぐるみを抱えて彼女はこう言った
「私、これから東京のおばさんのところに行かなくちゃ行けないんで今日はこのへんで」
彼女は行ってしまった
あくる日、病院に行くと実習生の実習期間はもう終わっていた
僕は彼女の電話番号も聞いて無かった
僕に残されたのはマルイのローンだけ
懐かしいクリスマスの思い出だな
今年は平成最後のクリスマスか・・・
クリスマスにもあんまりいい思い出が無いな・・
脳裏に映るのは10代最後のクリスマス、京都の四条河原町
その頃、無職な僕は河原町のミカドと言う名のパチンコ屋のスマートボールに嵌っていた
その時分でも、パチンコ台は手で弾か無くて主に電動式になっていて
ましてや、もうスマートボールなんて代物はほとんどの店で消滅していたのが
何故だか京都の一等地のこの店に置かれていた
ここのパチンコ屋の前に坂本龍馬と中岡慎太郎の終焉の地の碑があり
幕末史に有名な旅籠の近江屋があった場所だ
電動式の台に座った日にゃすぐの持ち金が底をつくが
スマートボールは一発づつねらって打つので僕の様な暇な貧乏人にぴったりだった
もちろんこの球も換金が出来て射幸性を煽っていた
10代最後の年の瀬、来年20歳を迎える無職な青年が自分の置かれた立場も忘れて足繁く通った
河原町に行くとパチンコの合間?気分転換に町を徘徊した
だいたいが歩いて行けるところ
清水寺に八坂神社、花見小路
木屋町や花街の祇園なんかは僕とは別世界の町だった
スマートボールで少し儲かると新京極のうどん屋に走った
今でも京都の古いうどん屋に入ってコシの無いふにゃふにゃのうどんに甘いお稲荷さんを食べると
(これじゃ!これが京都のうどんじゃ)
とか思う
いったい何の話やったっけ?
そうそう
クリスマス
その日は確かクリスマスだった
ピューピューと北風が河原町に吹き付ける冷たい晩
街にはジングルベルとその頃流行っていたモンタ&ブラザーズの‘ダンシングオールナイト,が流れていた♪
その日はパチンコで頭がヒートアップしてとうとう帰りの電車賃160円の最後の100円玉まで投入してしまって
手持ちの金が60円になってしまった
(しもうた60円しかのうなってしもうた・・)
街がクリスマスで浮かれている晩に
まぬけな青年は60円を握って街を夢遊病者のようにさ迷った
(あかん、どうやって大阪まで帰ろう)
四条大橋から暗い鴨川をのぞき込んで考えた
ふと、左手を見ると木屋町の入り口に交番があった
「おまわりさん、100円貸してもらえんでしょうか?」
「しゃー無いな~やるわ!」
「いや!そんなわけに行きませんから」
「ほんなら借用書書いて」
・・・と言うわけで
100円借りて家に帰った
今でも京都に行ってそこの交番の前を通ると・・
(昔、100円貸して貰ったとこやな・・)
と懐かしい思い出に浸っている