うちの仕事が潰れたら前の職場で雇って貰える算段が付いている
医療法人でいくつも関連施設を持っているから何処かに潜り込めるだろう
事あるごとに義理を欠かした事が無かったかし、お客様の行き来をさせていた
でもたとえ雇って貰えたとしてもすぐに辞めてしまうだろう
だって組織や人間関係が嫌で辞めたのに
またその組織に戻っても続かない
もう30年自営を続けているけど
もうダメぽー
小さい頃から群れるのは苦手だった
学校も嫌い、でも現代のように登校拒否なんて出来なかったから
毎日、嫌々行ってた
授業中も授業なんて聞いて無くて黒板を見ないで
学校の隣の畑に肥を撒く‘肥かつぎ,の‘たごやん,をいつも眺めていた
そうしたら先生が
「このボケー!わしの授業が可笑しいて聞けんちゅーのか、おう!」
「聞けへんのんやったら聞けるようにしちゃろーか」
まるで帝国陸軍の上等兵が新兵教育をしているようなビンタを咥えられた
そうすると他の同級生達の・・
えへへ・・(またこいつ叩かれちょる)
ニタニタと嘲笑の眼差しが注がれた
中学生になるとどれか運動部に入らなければならない
僕らの頃は帰宅部はそんなにいなかった
バスケット部に入ったんだけど
協調性が無いもんだから
皆と一緒に掛け声なんか出せない
監督かコーチか知らないけれど
「ええか!お前ら」
とか言うと
皆、いっせいに
「はい!」
と言って気合を見せるんだけど
僕は
小さい声しか出なくて
‘口パク,にしか見えなかったようだ
ここでも毎日、先輩?連中に殴る蹴るの制裁を受け
ますます組織が嫌になって
現在に至ってるんだな
ははは!
最新の画像[もっと見る]
最近、自分の余生を考えるとぞっとするんですが
余生と考えるより未来と思った方が前向きですね
男の子には厳しいのですね!
中学生の時数学の時間に窓の外をぼんやりと眺めていたら、男の先生に○○!三角形の面積は?・・・といきなり言われて、底辺×高さ÷2と答えたら、よそ見ばっかりせんと先生の話聞け!・・・と叱られました。
戦争で母子家庭の子供でしたから、高校進学も母を説得に来てくださった一番信頼していた先生でした
女は高校より手に職をつけるようにと、母に和裁の道へやらされて、3年後には家を飛び出して住み込みの事務員、父親が恋しくて自殺未遂もやりました。
自己愛が強いと言われても、自分を守るのは自分だけですね!
お若い方にはまだまだ未来が待っています
長々と失礼しました。
削除していただいて結構ですよ