皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

古河市 鶴峰八幡神社

2018-06-03 23:24:45 | 神社と歴史

平安時代末期の治承四年(1180)源頼朝の命により下総、武蔵国の豪族たちは下河辺より挙兵し、富士川の合戦に向かいます。その際川沿いの小高い山に鎮座する稲荷様に戦勝祈願し、御神徳」を感じた頼朝は養和元年(1181)相模国に鎮座する鶴岡八幡宮より御神霊を勧請し、鶴ヶ峰八幡宮としました。
その後下総国一宮香取神宮が勧請され元禄元年相殿となったといいます。また中世においては新田義貞は北条時高討伐において、ここに参拝し、また古河に公方が遷る際にも足利成氏らが祈願しているといいます。

江戸に入ると徳川家康の命により河川事業が行われ、神楽も伝わり「中田永代太々神楽」と呼ばれます。この舞に使われる面には「享保十六年三月」の文字が残り、下総においては最古の」太々神楽だといわれているようです。(古河市無形文化財指定)
日光街道栗橋宿が開けてからは宿場の鎮守として栄え将軍の日光参拝に際しては、道中安全の五柱の神に足踏み祈願したと伝わります。

拝殿脇には足尾銅山鉱毒事件に際し、田中正蔵と共に活動した貴族院小久保城南の銅像が建てられています。鎌倉の遷座以降、度重なる水害により鎮座地も移り、また廃藩置県により千葉や埼玉に属した歴史もあるといいます。
幾多の歴史を重ねながら、国道4号日光街道奥に佇んでいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする