皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

14インチのテレビの前で

2018-06-22 22:29:10 | 記憶の片隅

 サッカーワールドカップロシア大会が盛り上がっている。もちろん日本が初戦を勝利したおかげだ。小学校6年生の時にTVでキャプテン翼が放映されていた。野球小僧だった自分も夢中で見ていた。中学に入り野球部に入ったが、クラスの友達のサッカーの実力に驚いた。まさしくカルチャーショックだった。ボールが足に吸い付くようなドリブルを見たとき、翼君を見た気がした。
 大学に入るころJリーグが開幕し、KAZUやラモスを応援した。もちろん日本代表も。1993年サッカーワールドカップアメリカ大会アジア地区最終予選。勝てばワールドカップ出場が決まる最終イラク戦を初めて一人暮らしを始めた都内の築30年以上のアパートの部屋で一人小型TVで見ていた。
 後にドーハの悲劇と呼ばれた一戦だった。終了間際にサイドからクロスボールを上げられまさかの同点。崩れる選手。足を懸命に延ばす三浦選手の背中をリアルタイムで見ていた。
 あの悲劇から日本は強くなったとも聞く。勝っても負けても心の中で応援し続けたいと思う。
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長野口御門跡

2018-06-22 21:55:07 | 行田史跡物語

長野口御門跡は城下町行田の東北隅にあたり、行田船着場として出入りの激しい要所であった。忍川と六ツ門から本町北を流れる川とが合流し、沼をなしたという。その沼に二つの島があり、西の島にお堂があって小沼堂といい、東にも島があり、小沼橋がかかり長野桜町へ向かった。
橋から北は一面葦に覆われ、沼の上を秩父線が走ってゆくのは不思議な感じであったという。
 天正十八年(1590)忍城水攻めの失敗後、六月二十七日長野口から入った石田三成勢は大手口まで攻め入ったが、成田氏長の娘、甲斐姫の奮戦にて士気が上がった成田勢は石田勢を退けたという。
 但しこうした成田記の記述は後世の加筆である可能性が高く、史実としてとらえるには注意が必要であることを市の教育委員会は史跡の解説として記している。
いづれにしてもここがかつての船着場として栄え、新郷川俣関所(羽生)から館林城へと至る重要な街道の出入り口であった。

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