今日は久し振りに展覧会の感想を書きます。
誰かから「女性の芸術家を知っているだけ挙げて下さい」と問われたとき、あなたはどれだけの名前を挙げることができるでしょうか。日本美術にしろ、西洋美術にしろ、美術史に残るのは男性の割合が圧倒的で、女性の名は大変に少ないものです。そんな女性の芸術家たちにスポットを当てた本に「女性画家列伝」(若桑みどり著 岩波新書)があります。著者は、女性の芸術家が少なかった理由の1つとして「女性が家事労働と生殖とに役割を限定されていた数千年の人類の歴史の中では、絵を描く女たちは、既成社会の原理的構造を逸脱した存在であったと言わなければならない」と述べています。つまりは、社会を「逸脱」する、それだけ特別な道を歩まなくてはならなかったというわけです。
本日、損保ジャパン東郷青児美術館の「ベルト・モリゾ展」を見学しました。ベルト・モリゾは19世紀に活躍した女性の画家で、モネ、ルノワールらとともに印象派の一翼を担いました。数年前に東京都美術館の「パリ・マルモッタン美術館展」でベルト・モリゾの作品が展示されたようですが、これを期にベルト・モリゾの名前が徐々に日本へ浸透してきたように思われます。
展覧会場は、姉エドマ・モリゾが描いたベルト21歳の肖像が迎えてくれます。画面には、真摯な目でキャンバスに向かうモリゾが描かれています。声をかけるのもはばかられるような、真剣な雰囲気です。そして、パレットを持つ左手の薬指には、指輪も。(すでに婚約していたのでしょうか。ベルトは26歳で結婚しています)
ベルト・モリゾは、姉と共にルーブル美術館での模写で絵画を学びます。これだけでも美術館が芸術家の養成に果たしていた役割は大きいものといえるでしょう。若いころ、とりわけ30歳後半から40歳前半の作品は、白を基調とした作品が多いようです。画面全体が、新鮮で優しい感じに仕上がっています。もちろん、あの印象派の画家たちに多く見られる薄い緑、青の調子も見られます。画題もほとんどが愛娘ジュリーを描いたもの。男性が登場するのは、夫の姿だけ。モリゾが残したジュリーを見ていると、私たちはジュリーが成長していくアルバム(ただのアルバムではありません。母親の視点からみたかけがえの無い成長の記録です)を見ているようです。母親の愛が画面からもひしひしと伝わってきます。あの丸くて優しい目は、男性には描けないものです。(展示会場にルノワールの女性像もありましたが、モリゾと比較するとまるで違うものでした)私は、特に《桜の木》の下に居る女性の髪の表現、舟に乗った母子をまるで賞賛するかのように白鳥や鴨が集まった《ブーローニュの森の湖》が好きな作品でした。
彼女は、他の印象派の仲間たちとも大変仲が良く、夫と共に印象派展での出品者の調整役も務めました。モリゾがなくなったあと、マラルメ、モネ、ルノアール、ドガらが彼女の一周忌に回顧展を開催したそうです。彼らが展示計画をたて、自ら展示作業にまであたったというのであるから驚きです。それだけ彼女は多くの作家たちの仲間として慕われていたことを示すものでしょう。
さて、ベルト・モリゾもやはり「特別な道」を歩みました。しかし、苦難が伴うはずの「特別な道」にも関わらず、モリゾにはそうした苦難は全く感じられません。彼女の絵は、とにかく幸せに満ち溢れているのです。(もちろん、生きてゆくうえで、言い知れぬ苦悩はあったでしょうが)モリゾは、家庭と芸術の両立を果たしました。それは夫も同じく画家であり、絵画に理解があったために成り立った部分もあったのでしょう。彼女の生涯は、印象派のように明るいものであったように思われます。
本展覧会は、日本では初のベルト・モリゾ回顧展だそうです。ぜひ、ご覧になってみてはいかがでしょうか。
誰かから「女性の芸術家を知っているだけ挙げて下さい」と問われたとき、あなたはどれだけの名前を挙げることができるでしょうか。日本美術にしろ、西洋美術にしろ、美術史に残るのは男性の割合が圧倒的で、女性の名は大変に少ないものです。そんな女性の芸術家たちにスポットを当てた本に「女性画家列伝」(若桑みどり著 岩波新書)があります。著者は、女性の芸術家が少なかった理由の1つとして「女性が家事労働と生殖とに役割を限定されていた数千年の人類の歴史の中では、絵を描く女たちは、既成社会の原理的構造を逸脱した存在であったと言わなければならない」と述べています。つまりは、社会を「逸脱」する、それだけ特別な道を歩まなくてはならなかったというわけです。
本日、損保ジャパン東郷青児美術館の「ベルト・モリゾ展」を見学しました。ベルト・モリゾは19世紀に活躍した女性の画家で、モネ、ルノワールらとともに印象派の一翼を担いました。数年前に東京都美術館の「パリ・マルモッタン美術館展」でベルト・モリゾの作品が展示されたようですが、これを期にベルト・モリゾの名前が徐々に日本へ浸透してきたように思われます。
展覧会場は、姉エドマ・モリゾが描いたベルト21歳の肖像が迎えてくれます。画面には、真摯な目でキャンバスに向かうモリゾが描かれています。声をかけるのもはばかられるような、真剣な雰囲気です。そして、パレットを持つ左手の薬指には、指輪も。(すでに婚約していたのでしょうか。ベルトは26歳で結婚しています)
ベルト・モリゾは、姉と共にルーブル美術館での模写で絵画を学びます。これだけでも美術館が芸術家の養成に果たしていた役割は大きいものといえるでしょう。若いころ、とりわけ30歳後半から40歳前半の作品は、白を基調とした作品が多いようです。画面全体が、新鮮で優しい感じに仕上がっています。もちろん、あの印象派の画家たちに多く見られる薄い緑、青の調子も見られます。画題もほとんどが愛娘ジュリーを描いたもの。男性が登場するのは、夫の姿だけ。モリゾが残したジュリーを見ていると、私たちはジュリーが成長していくアルバム(ただのアルバムではありません。母親の視点からみたかけがえの無い成長の記録です)を見ているようです。母親の愛が画面からもひしひしと伝わってきます。あの丸くて優しい目は、男性には描けないものです。(展示会場にルノワールの女性像もありましたが、モリゾと比較するとまるで違うものでした)私は、特に《桜の木》の下に居る女性の髪の表現、舟に乗った母子をまるで賞賛するかのように白鳥や鴨が集まった《ブーローニュの森の湖》が好きな作品でした。
彼女は、他の印象派の仲間たちとも大変仲が良く、夫と共に印象派展での出品者の調整役も務めました。モリゾがなくなったあと、マラルメ、モネ、ルノアール、ドガらが彼女の一周忌に回顧展を開催したそうです。彼らが展示計画をたて、自ら展示作業にまであたったというのであるから驚きです。それだけ彼女は多くの作家たちの仲間として慕われていたことを示すものでしょう。
さて、ベルト・モリゾもやはり「特別な道」を歩みました。しかし、苦難が伴うはずの「特別な道」にも関わらず、モリゾにはそうした苦難は全く感じられません。彼女の絵は、とにかく幸せに満ち溢れているのです。(もちろん、生きてゆくうえで、言い知れぬ苦悩はあったでしょうが)モリゾは、家庭と芸術の両立を果たしました。それは夫も同じく画家であり、絵画に理解があったために成り立った部分もあったのでしょう。彼女の生涯は、印象派のように明るいものであったように思われます。
本展覧会は、日本では初のベルト・モリゾ回顧展だそうです。ぜひ、ご覧になってみてはいかがでしょうか。