学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

宇都宮、歴史をめぐる①

2010-09-15 19:56:38 | その他
栃木県の宇都宮を歩いてきました。まずは宇都宮城から…と言っても、宇都宮城のなごりはほとんどなく、いまは近年建てられた模擬天守を見ることができます。その街の歴史を知る方法はさまざまにありますが、私の場合は図書館へ出かけたり、近代であれば古写真、絵葉書などを探して過去を調査します。そうしてもうひとつ大事なこと、それは地元の方にお話を伺うことです。




宇都宮城の模擬天守は写真を撮影するのを忘れました…。代わりに撮ったのは、この1枚。宇都宮城の南にある土塁跡?です。少年時代、宇都宮城跡で育ったという男性に話を聞きましたら、子どもの頃は城の堀でよく魚釣りをしたそうです。この辺りは蛇がうようよとしていて怖かったとか。現在はその堀は埋め立てられてありません。

宇都宮城の特長は、天守に石垣を使わなかったことだそうです。土塁で建てたんですね。再建された宇都宮城も見た目は土塁のように再現されていますが、その地続きで南側にこの写真の土塁があります。男性の話によれば、おそらくこれは当時の土塁ではないかとのこと。魚釣りに来ていた当時、この土塁はあったそうです。私も土塁を見極めるほど目が肥えていないので、土塁跡?にとどめておきます。




土塁跡?の笹。見事に緑が美しいですね。たしかにこの一帯だけ、自然の草が生えていて、太い幹の木々がどっしりと立っています。今は憩いの場。私が行ったときはちょうどお昼どきで、木陰で昼寝をしている人たちを何人か見かけました。兵どもは夢の跡、ですね。





とてつもなく大きなイチョウの木です。宇都宮城から北西の方向に立っています。これは宇都宮城の数少ない遺構。宇都宮城の三の丸にあったイチョウの木です。樹齢400年と言われ、宇都宮城主本多正純(ほんだまさずみ)が街を整備し始めたころのものといいます。400年前の人々も、このイチョウを見ていたのでしょうね。写真をご覧になるとわかりますように、現在の三の丸跡は東西に大きく道路が伸びています。もともとは城郭の一部でしたから、明治になってこのように道路を作ったのでしょうね。ちょっとさびしい気がしますが、これも時の流れなのでしょう。


肝心の宇都宮城模擬天守を撮影するのを忘れてしまいました(泣)明日はイチョウの木から北に歩をすすめて、市内中心部を流れる釜川付近をご紹介します。