学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

《雪中錦鶏図》との初対面

2016-06-01 21:49:31 | 展覧会感想
もうすでに終わってしまいましたが、東京都美術館の「若冲展」を見に行ってきました。ウェブでは相当に混雑するとの情報が流れていて、さぞかし並ぶのだろうと思っていたのですが、待ち時間は90分程度。意外にもすんなりと会場へ入ることができました。(90分が短いという感覚!)

このブログでもご紹介しましたが、私がまだ美術を学び始めたばかりの頃、ひと目で好きになったのが若冲の動植綵絵でした。とりわけ、私が好きだったのは《雪中錦鶏図》です。その作品は、粘液のような雪のなかに、風景と同化したかのような2羽の錦鶏が描かれたもので、今でもどう言葉に表したらいいものかわからないのですが、とにかく私は魅了されたのです。しかし、それは図版でのこと。いずれ本物を観てみたいと思ってはいたものの、なかなか機会はないまま年月は過ぎて行きました。

その《雪中錦鶏図》、とうとう本物を観ることができました。第一印象は思っていたよりも作品が大きい、ということ。(若冲の作品に関しては、どれもイメージしていたより作品が大きかった)そして、私が大学生のときに図版で観た色彩よりも、本物のほうが淡くて優しい印象を受けたということ。

その場にゆっくり立って、私は古い友人に再会したかのような感動を覚え…られれば良かったのですが、なにぶん会場内は混雑しており、あまり余韻にひたる間もなく、移動することになりました。そうして間近では見れなくなったのですが、動植綵絵を一通り見終えたあとに、再びやや遠目から眺めてました。次に会えるのはいつかわかりませんが、この日を忘れることはないでしょう。「若冲展」、とても良い展覧会でした。
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「宇都宮藩主戸田氏」展を観る

2016-06-01 00:18:20 | 展覧会感想
小山市立博物館のあとは、栃木県立博物館で開催している「宇都宮藩主 戸田氏」展を観ました。

江戸時代、今の宇都宮市の中心地には宇都宮藩が置かれていました。藩の拠点は宇都宮城。藩主は時期によって様々に交代しますが、戸田氏の治世が最も長かったようです。戸田家は三河時代の徳川家から仕えており、当時の戸田家当主忠次は数々の戦歴があったようです。領地でいえば、江戸時代の初めの石高は伊豆の5000石でしたが、しだいに幕府に重用されるようになり、忠昌の代になると老中に昇格。以後は全国に転封されながらも、6万から7万石の大名として存続しています。

展覧会会場では戸田家のルーツから始まって、戸田家の甲冑、陣羽織、刀剣のほか、江戸の戸田家屋敷を描いた絵図(まるで植物園のような)などの豊富な資料が一同に展示されていました。

私がなかでも気になっていたのは、戸田家8代目の藩主である戸田忠翰(ただなか)の絵画。沈南蘋に影響(正確には沈南蘋の弟子の熊斐)を受けた森蘭斎に絵を学んだとされ、とても見事な花鳥画の作品を残しています。その絵はなかなか写実的ではあるのですが、ほぼ同時代の伊藤若冲のような華やかさはなく、武士らしい無骨な印象を受ける画風です。ポスターやパンフレットにも使用されている《白鴎鸚鵡図》や《白鷺図》などはモチーフが鳥にもかかわらず、どこか筋肉質で力強いものでした。

こうした忠翰の作品を観ていくと、福島県の白河集古苑で観た徳川綱吉の描いた馬図や、仙台市博物館の「宇和島伊達家の名宝展」で見た伊達綱宗の指面、秋田藩の佐竹曙山の秋田蘭画などが思い出され、将軍や藩主のなかにもプロフェッショナルな技術を持ち得た人物がいることに改めて驚かされました。

おそらく戸田忠翰の作品をまとまった点数で観られる機会は早々無いはず。貴重な機会を得ることができて感謝の一日でした。
コメント (9)
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