学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

濱田庄司『無盡蔵』

2009-10-31 17:50:32 | 読書感想
今日、ご紹介する本は陶芸家濱田庄司(1894~1978)の著書『無盡蔵』(むじんぞう)です。この書名は版画家棟方志功による命名とのこと。棟方は濱田の無盡蔵(たくさん、という意ですね)にある民藝品のコレクションからヒントを得たそうです。ところが、濱田は逆に「ことごとく蔵するなし」と解釈した。これは、自分の手元にある民藝品1つ1つの本質はもうすでに自分の心へ取り入れているから、目の前に「民藝品」の物体はあるにしても、それは何もないのと同じこと、と捉えたんですね。濱田のモノに対する見方が、よく表れているように思います。

本の内容は、まさに自叙伝。なぜ陶芸の道を歩むことにしたか、修行に明け暮れた沖縄と益子での日々、師の板谷波山、盟友である河井寛次郎、、バーナード・リーチ、柳宗悦との出会い、そして民藝に対する考え方。濱田の言葉で、じっくりと語られます。

私が興味をそそられるのは、濱田の歩んだ道のりもさることながら、文章の書き方がとても巧いと言うこと。最初の一文に結論を持ってきて、どうしてそう思うのかをとくとくと解く。それが説明がましくなく、すこぶる平易でわかりやすい。まずは結論から先に、という書き方は濱田に英語の素養があったためでしょうか。それに加えて、ときどき名セリフを持ってくる。「私の仕事は英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」、釉の流掛がたった15秒では物足りないのではないかと訪問客に言われたことに対して「15秒+60年」と答えるなど。

考えてみれば、柳宗悦、河井寛次郎、芹沢介、そして濱田庄司、民藝に携わる人たちの文章は軒並み巧いんですね。これはどうしてなのでしょう。非常に多読していたことはもちろん、まずは自分の伝えたいメッセージが明確にある、ということが挙げられると思います。書く理由があるから書く。読んでいくと、いい加減に書いたような文章はまったくない。読者へ伝えたい強い想いがあるからこそ、優しく、わかりやすい文章になったといえるのではないでしょうか。

それと関連して「民藝」を普及させるための手段として。今であればテレビやインターネットで情報をつかむことができますが、「民藝」の言葉が生まれた大正末期には、当然そうしたものはないわけですね。そうしたら本や雑誌でPRするしかない。「民藝」とは何か?新しい考え方を広く理解してもらうためには、優しくてわかりやすい文章にして訴える必要がある。つまり言葉を平易にすることで、多くの人々に「民藝」を理解してもらおうと考えた。これは特に柳に言えることかもしれませんが、そんな考え方も出来るのかもしれません。

随分長くなってしまいました。失礼いたしました。この本は濱田庄司を知るうえで欠かせないものですし、きっとモノの見方が変わる一冊になることでしょう。今はなかなか手に入らないようですが、ぜひオススメです。

●濱田庄司『無盡蔵』 講談社文芸文庫 2000年 

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