『21世紀の資本論』の主張のうち注目すべき第二点は、
「税引き後の資本収益率(r)」は「経済成長率(g)」を常に上回り続ける。
という大胆な仮説の提唱だ。この「r>g」仮説は、過去200年間の統計データを踏まえている。
19世紀から20世紀初めまでは、先進国における資本収益率は平均して5%程度であるのに対し、経済成長率は1~2%程度だった。そのため、資本を多く有する富裕層は、再投資によって富を増殖させたが、労働者の賃金収入はそれほど増えず、格差が広がった。
1914年から1973年までの「約60年間」は、例外的に経済成長率が資本収益率を上回ったため、格差が縮小し得た。
ところが、1970年代の終わりから21世紀初頭までは、再び経済成長率が低位で推移したため、資本収入は、労働者収入を上回るペースで増大し、格差が拡大した。
この「r>g」の不等式こそ、『21世紀の資本論』の中で最も論争を呼ぶ点だろう。
もし、この不等式が成立するならば、資本主義は格差を拡大させ続けるだけだということになる。過度な不平等は、民主主義の存立基盤を破壊する。ゆえに、「r>g」が成立するならば、自由な資本市場というものが本質的に民主主義とは両立し得ないことになる。
これは、自由市場の原理を信奉する主流派経済学者にとっては、あってはならないことだった。
だから、ピケティに対する批判は、「r>g」の不等式が理論的に成立し得るのか、という点に集中している。もし、富裕層に富が集中して資本が過剰になったら、資本の限界収益は逓減するがゆえに資本収益率(r)はいずれ低下するはずだ。主流派経済学のモデルでは、「r>g」の不等式が常に成立するとは言えないし、格差が累積的に拡大するという結論も導けない。それでも「資本収益率は経済成長率を常に上回り続ける」と言い張るなら、過去の統計データだけではなく、相応の理論的な説明を提示せよ。
ピケティ自身は、『21世紀の資本論』の中では、この不等式が成立する理由について、より裕福な人の方がより高い収益率を確保できる優秀な財務管理者を雇うことができるので、より多くの収益を得ることができるのだ、という仮説を提示してはいる。
この説明だけでは、確かに十分とは言えない。
しかし、資本収益率は資本の過剰によって低下したとしてもなお、ピケティが言うように経済成長率を上回ることはあり得る。それは、資本家階級が労働者階級から富を収奪することによって可能となるのだ。その仕組みについては、マルクス主義を持ち出さなくても、現実の経済に起きている現象を観察すれば、容易に理解できる。
それは、いわゆる「株式資本主義」と呼ばれる現象だ。
つまり、「会社は株主のものであり、株式時価総額を最大化するために存在する」という信念に基づいてさまざまな経済制度が設計された経済システムだ。企業組織、会計基準、金融証券制度、税制など。
株式資本主義の下では企業は、株主資本に対する純利益の比率(自己資本利益率、ROE)を高めることを目標にして経営されるようになる。ROEの向上を経営目標とする企業は、必然的に、中長期の研究開発に必要な費用を削減したり、非正規労働者を活用して人件費や人材育成費を抑制するなど、徹底した合理化を進めるようになる。企業の長期的発展のために向けるべき資金を削り、賃金を抑制し、株主への配当を増やそうとするのだ。
この場合、企業の利益自体は増えていなくても、将来への投資や労働者への配分を減らすことで、株主への配当を増やすことができる。
しかし、研究開発や設備投資が削減され、賃金が抑制されるようになっては、一国の経済成長は期待できなくなる。各企業がROEを上げるように行動することで、国全体の経済成長率が伸びなくなるのだ。
以上のように、経済が株主資本主義化すれば、資本収益率が経済成長率を上回り続けることは可能になる。
それどころか、資本収益率の高さこそが、経済成長率の低下を招くのだ。
□中野剛志「「21世紀の資本論」 新自由主義への警告」(「文藝春秋」2014年10月号)
↓クリック、プリーズ。↓

【参考】
「【経済】なぜ格差は拡大するか ~富の分配の歴史~」
「税引き後の資本収益率(r)」は「経済成長率(g)」を常に上回り続ける。
という大胆な仮説の提唱だ。この「r>g」仮説は、過去200年間の統計データを踏まえている。
19世紀から20世紀初めまでは、先進国における資本収益率は平均して5%程度であるのに対し、経済成長率は1~2%程度だった。そのため、資本を多く有する富裕層は、再投資によって富を増殖させたが、労働者の賃金収入はそれほど増えず、格差が広がった。
1914年から1973年までの「約60年間」は、例外的に経済成長率が資本収益率を上回ったため、格差が縮小し得た。
ところが、1970年代の終わりから21世紀初頭までは、再び経済成長率が低位で推移したため、資本収入は、労働者収入を上回るペースで増大し、格差が拡大した。
この「r>g」の不等式こそ、『21世紀の資本論』の中で最も論争を呼ぶ点だろう。
もし、この不等式が成立するならば、資本主義は格差を拡大させ続けるだけだということになる。過度な不平等は、民主主義の存立基盤を破壊する。ゆえに、「r>g」が成立するならば、自由な資本市場というものが本質的に民主主義とは両立し得ないことになる。
これは、自由市場の原理を信奉する主流派経済学者にとっては、あってはならないことだった。
だから、ピケティに対する批判は、「r>g」の不等式が理論的に成立し得るのか、という点に集中している。もし、富裕層に富が集中して資本が過剰になったら、資本の限界収益は逓減するがゆえに資本収益率(r)はいずれ低下するはずだ。主流派経済学のモデルでは、「r>g」の不等式が常に成立するとは言えないし、格差が累積的に拡大するという結論も導けない。それでも「資本収益率は経済成長率を常に上回り続ける」と言い張るなら、過去の統計データだけではなく、相応の理論的な説明を提示せよ。
ピケティ自身は、『21世紀の資本論』の中では、この不等式が成立する理由について、より裕福な人の方がより高い収益率を確保できる優秀な財務管理者を雇うことができるので、より多くの収益を得ることができるのだ、という仮説を提示してはいる。
この説明だけでは、確かに十分とは言えない。
しかし、資本収益率は資本の過剰によって低下したとしてもなお、ピケティが言うように経済成長率を上回ることはあり得る。それは、資本家階級が労働者階級から富を収奪することによって可能となるのだ。その仕組みについては、マルクス主義を持ち出さなくても、現実の経済に起きている現象を観察すれば、容易に理解できる。
それは、いわゆる「株式資本主義」と呼ばれる現象だ。
つまり、「会社は株主のものであり、株式時価総額を最大化するために存在する」という信念に基づいてさまざまな経済制度が設計された経済システムだ。企業組織、会計基準、金融証券制度、税制など。
株式資本主義の下では企業は、株主資本に対する純利益の比率(自己資本利益率、ROE)を高めることを目標にして経営されるようになる。ROEの向上を経営目標とする企業は、必然的に、中長期の研究開発に必要な費用を削減したり、非正規労働者を活用して人件費や人材育成費を抑制するなど、徹底した合理化を進めるようになる。企業の長期的発展のために向けるべき資金を削り、賃金を抑制し、株主への配当を増やそうとするのだ。
この場合、企業の利益自体は増えていなくても、将来への投資や労働者への配分を減らすことで、株主への配当を増やすことができる。
しかし、研究開発や設備投資が削減され、賃金が抑制されるようになっては、一国の経済成長は期待できなくなる。各企業がROEを上げるように行動することで、国全体の経済成長率が伸びなくなるのだ。
以上のように、経済が株主資本主義化すれば、資本収益率が経済成長率を上回り続けることは可能になる。
それどころか、資本収益率の高さこそが、経済成長率の低下を招くのだ。
□中野剛志「「21世紀の資本論」 新自由主義への警告」(「文藝春秋」2014年10月号)
↓クリック、プリーズ。↓



【参考】
「【経済】なぜ格差は拡大するか ~富の分配の歴史~」