語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【新聞】記者の質問能力の低下 ~朝日新聞社長の記者会見~

2014年10月16日 | 批評・思想
 9月11日、木村伊量・朝日新聞社長らが記者会見を開いた【注】。その模様はインターネットで中継された。
 ひたすら頭を下げ、詫びる朝日のトップ。
 産経や読売の記者が執拗に問いただしたが、「新事実」はなにも引き出せなかった。

 記者の質問力が落ちていることを証明した会見だった。
 「慰安婦の金学順さんがキーセン学校に通っていたことを書いていないのは事実のねつ造ではないか」
 「吉田調書の記事はあらかじめ決めた筋書きにそって、つごうのいい箇所を抜き出して作った取材では」
 ・・・・事実を問うというより、自分の見解を披瀝して同意を求める質問が目立った。
 「そのようなことはございません」
 社長の横に坐る杉浦信之・取締役編集担当は謝り役で、低姿勢に徹し、質問をはぐらかす。
 同じ記者が何度も手を挙げ、似たような質問を繰り返したが、2時間の長丁場は単なる「朝日批判の開陳」に終わった。

 だが、木村社長を追い詰めるチャンスはあったのだ。
 池上彰の寄稿を掲載しようとした現場の判断を上層部がひっくり返した・・・・と社長が認めた時だ。
 「私は感想を述べただけ。杉浦編集担当に判断を任せた」
 会見のハイライトはここだった。だが、200人もいた記者のうち、 
 「あなたはどんな感想を述べたのですか」
と社長に問いただす者は1人もいなかった。
 「杉浦編集担当、感想をどう受け取りましたか」
 「木村社長、任せたというなら報告はいつ受けたのですか」
 「報告を受けたとき、それでいいと言ったのですか」
と問い詰めれば、「責任は編集担当」と逃げる社長の言い訳を突き崩せただろう。
 
 朝日新聞社長が責任をとるとしたら、「寄稿不掲載」の1件だ。あの状況で社長が、「知らなかった」とか、「判断に関与してない」とか、あり得ない。
 編集担当とのやり取りをきっちり詰めるのが会見に臨んだ記者の仕事だろう。読売や産経では、上層部の判断で現場の決定が覆ることはニュースにならないのか。

 日ごろの仕事ぶりが、こうした場面に現れる。
 首相会見などにおいて、多くの記者は黙ったまま、パソコンのキーボードの音だけがパシャパシャ鳴る。追求型の質問は、ほぼ皆無だ。
 官庁の記者クラブもそうだ。会見で食い下がるのは朝日の記者であることが多い。

 ジャーナリズムの職務の一つは、権力の監視だ。
 ところが、記者たちは、情報を得る権力者が相手だとおとなしい。かたや、頭を下げる相手には居丈高になる。
 なんとも悲しい光景だ。

 【注】「【原発】朝日叩きに走る各紙が過去に飛ばした「大誤報」

□神保太郎「メディア批評第83回」(「世界」2014年11月号)の「(1)「叩く」ほど、信頼失う活字メディア」
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