9月20日ごろ、東京駅で異様な光景が目撃された。
『従軍慰安婦は朝日新聞の捏造』
『読まない、買わない、読ませない』
という文字が書かれた蛍光色のTシャツの一群が、ゾロゾロと山手線の車輌を降りたのだ。
「頑張れ日本! 全国行動委員会」が呼びかけた「朝日新聞解体、山手線一周マラソンラリー」であった。
同委員会の幹事長は、水島総・「日本文化チャンネル櫻」社長が務めている。
インターネット動画サイトの同社は、綱領に「地方から日本国全体を変革する『草莽の士』として、自らが出来る限りの力を尽くし、同志と共に政治活動を実行していく」と謳う。
ネットも新聞も、ジャーナリズムの担い手だ。理念や考え方は違っても、言論という共通の土俵に立っている。規模や影響力は異にしても、考え方の違いは言論の場で戦わせるのが筋だ。
ところが、水島総らは、考え方が違うメディアを、政治団体を作って「解体」しようと訴えている。錦の御旗は「頑張れ日本!」。国家と国民を卑しめる勢力は駆逐する。そんな風潮が芽生えている。
「朝日関係殺虫駆除リスト」がネット上に公開された。朝日新聞記者や関係者の、100人超の実名が連なるリストだ。
日本軍慰安婦問題では、記事を書いた記者が名指しで攻撃され、ネットには顔写真、住所、家族の写真まで晒されている。
反撃できない相手をいたぶるような愚劣なエンターテインメント。
そんな風潮を煽る週刊誌の記事広告が電車に宙吊りにされている。
背後には、朝日の論議に批判的な勢力の狙い撃ちがある。
戦争責任、靖国参拝、憲法改正、原発再稼働などでメディアは二分されている。
リベラルの旗を掲げる朝日に対し、戦後レジームからの脱却を唱え、歴史認識の見直しを掲げる勢力は安倍首相の与党メディアになっている。
朝日新聞は、8月5・6日の紙面で、これまでの慰安婦報道を検証し、「済州島で慰安婦狩りをした」などとする吉田清治の発言は虚偽と認定して16本の記事を取り消した。
検証記事の中で、他のメディアが紹介した吉田証言に触れた。産経新聞などは、「論点のすり替えだ」と反発した。・・・・「よそも書いた」というのは、確かに言い訳にならない。しかし、朝日の責任を追及するなら、自分はどうだったか、読者に説明すべきだ。なぜ誤報したのか、なぜ裏を取らなかったのか。「朝日が先に書いていた」というのは、これまた言い訳でしかない。
吉田清治が初めて朝日新聞の紙面に登場したのは、1983年だ。大阪で行った講演が記事になった。
当時はさほど話題にならなかった。1990年代になって、日朝の国交正常化が外交課題になり、注目されるようになった。
朝日だけでなく、多くのメディアが吉田証言に沿った報道を行っている。
産経新聞は、1993年、大阪本社の夕刊において連載した「人権考」で、9月1日に吉田清治を「済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした証言者」として大きくとりあげた。見出しは「加害 終わらぬ謝罪行脚」。慰安婦だった金学順に詫びている写真を併せて掲載。この連載は第1回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞し、1994年に書籍化された。
秦郁彦・現代史家が吉田証言を疑問視する記事を産経新聞に載せたのは1992年4月。それから1年以上も経った「人権考」の記事には、「信ぴょう性に疑問を唱える声があがり始めた」と書きつつも、被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったとも言えない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っているのはたしかだ」と書いている。
読売新聞は、1992年8月15日付け夕刊で吉田清治を紹介している。
「病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事でいい給料になる、と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」と集会の発言を紹介した。
一番先に書いたのは朝日。
たくさん取り上げたのも朝日。
だから、皆そう信じた。国際社会にも影響を与えた。反日メディアだ。廃刊にしろ。
・・・・自分の不始末を棚に上げて、他者の誤りをここぞとばかり言い募る。思い切り叩き、晒し者にする。いつから、日本のメディアは節度を失ったのか。
今、活字文化が文明史の十字路に立たされている。狂ったような朝日叩きは、何の始まりか。
良質の手触り感のある情報を届けるはずの紙誌が狂奔する「お祭り」は、朝日のみならず活字メディア全体から読者が離れゆく序曲かもしれない。
□神保太郎「メディア批評第83回」(「世界」2014年11月号)の「(1)「叩く」ほど、信頼失う活字メディア」
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【新聞】再生の出発点は現場 ~経営判断を誤ったジャーナリズム~」
「【新聞】記者の質問能力の低下 ~朝日新聞社長の記者会見~」
『従軍慰安婦は朝日新聞の捏造』
『読まない、買わない、読ませない』
という文字が書かれた蛍光色のTシャツの一群が、ゾロゾロと山手線の車輌を降りたのだ。
「頑張れ日本! 全国行動委員会」が呼びかけた「朝日新聞解体、山手線一周マラソンラリー」であった。
同委員会の幹事長は、水島総・「日本文化チャンネル櫻」社長が務めている。
インターネット動画サイトの同社は、綱領に「地方から日本国全体を変革する『草莽の士』として、自らが出来る限りの力を尽くし、同志と共に政治活動を実行していく」と謳う。
ネットも新聞も、ジャーナリズムの担い手だ。理念や考え方は違っても、言論という共通の土俵に立っている。規模や影響力は異にしても、考え方の違いは言論の場で戦わせるのが筋だ。
ところが、水島総らは、考え方が違うメディアを、政治団体を作って「解体」しようと訴えている。錦の御旗は「頑張れ日本!」。国家と国民を卑しめる勢力は駆逐する。そんな風潮が芽生えている。
「朝日関係殺虫駆除リスト」がネット上に公開された。朝日新聞記者や関係者の、100人超の実名が連なるリストだ。
日本軍慰安婦問題では、記事を書いた記者が名指しで攻撃され、ネットには顔写真、住所、家族の写真まで晒されている。
反撃できない相手をいたぶるような愚劣なエンターテインメント。
そんな風潮を煽る週刊誌の記事広告が電車に宙吊りにされている。
背後には、朝日の論議に批判的な勢力の狙い撃ちがある。
戦争責任、靖国参拝、憲法改正、原発再稼働などでメディアは二分されている。
リベラルの旗を掲げる朝日に対し、戦後レジームからの脱却を唱え、歴史認識の見直しを掲げる勢力は安倍首相の与党メディアになっている。
朝日新聞は、8月5・6日の紙面で、これまでの慰安婦報道を検証し、「済州島で慰安婦狩りをした」などとする吉田清治の発言は虚偽と認定して16本の記事を取り消した。
検証記事の中で、他のメディアが紹介した吉田証言に触れた。産経新聞などは、「論点のすり替えだ」と反発した。・・・・「よそも書いた」というのは、確かに言い訳にならない。しかし、朝日の責任を追及するなら、自分はどうだったか、読者に説明すべきだ。なぜ誤報したのか、なぜ裏を取らなかったのか。「朝日が先に書いていた」というのは、これまた言い訳でしかない。
吉田清治が初めて朝日新聞の紙面に登場したのは、1983年だ。大阪で行った講演が記事になった。
当時はさほど話題にならなかった。1990年代になって、日朝の国交正常化が外交課題になり、注目されるようになった。
朝日だけでなく、多くのメディアが吉田証言に沿った報道を行っている。
産経新聞は、1993年、大阪本社の夕刊において連載した「人権考」で、9月1日に吉田清治を「済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした証言者」として大きくとりあげた。見出しは「加害 終わらぬ謝罪行脚」。慰安婦だった金学順に詫びている写真を併せて掲載。この連載は第1回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞し、1994年に書籍化された。
秦郁彦・現代史家が吉田証言を疑問視する記事を産経新聞に載せたのは1992年4月。それから1年以上も経った「人権考」の記事には、「信ぴょう性に疑問を唱える声があがり始めた」と書きつつも、被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったとも言えない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っているのはたしかだ」と書いている。
読売新聞は、1992年8月15日付け夕刊で吉田清治を紹介している。
「病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事でいい給料になる、と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」と集会の発言を紹介した。
一番先に書いたのは朝日。
たくさん取り上げたのも朝日。
だから、皆そう信じた。国際社会にも影響を与えた。反日メディアだ。廃刊にしろ。
・・・・自分の不始末を棚に上げて、他者の誤りをここぞとばかり言い募る。思い切り叩き、晒し者にする。いつから、日本のメディアは節度を失ったのか。
今、活字文化が文明史の十字路に立たされている。狂ったような朝日叩きは、何の始まりか。
良質の手触り感のある情報を届けるはずの紙誌が狂奔する「お祭り」は、朝日のみならず活字メディア全体から読者が離れゆく序曲かもしれない。
□神保太郎「メディア批評第83回」(「世界」2014年11月号)の「(1)「叩く」ほど、信頼失う活字メディア」
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【新聞】再生の出発点は現場 ~経営判断を誤ったジャーナリズム~」
「【新聞】記者の質問能力の低下 ~朝日新聞社長の記者会見~」