(1)現代の戦争
日本の新聞で中東の記事が一面を飾るようになったら、現地では相当大変なことになっていると判断したほうがいい。世界と日本の新聞の一番の違いは中東情勢の量と質だ。
国際紛争をみていくには、歴史、民族、宗教、政治、情報、経済・・・・あらゆる要素に目配りしなくてはならない。逆に言えば、戦争から目をそらしていると、いまの世界の動きはつかめない。
なぜなら、いま起きている戦争は、いくつかの点で過去の戦争概念では捉えきれなくなっているからだ。
(a)紛争当事国の多くが破綻国家であること。さらにいえば、国家未満の武装勢力が戦争の主役を演じていること。※<例>イスラム国(IS)。ウクライナの親ロシア派。
ちなみに、シリアやウクライナがまともな国家といえるか、これも怪しい。国際法上の国家の要件は二つ。①当該地域が実効支配できているか。②国際法を守る意思があるか。・・・・この点、シリアは明白な破綻国家だ。①’国全体を実効支配できてない。②’国際法を守る気がない(自国民に対して毒ガスをまいている)。
※リビアも。米国大使館が全員退避した。
アラブの春がもっとも成功したとされるチュニジアも破綻国家の仲間入りしている。
(b)少し前までは実際に戦争が起きると最後には核兵器の使用に至り人類が滅亡する、だからもう戦争は不可能なのだ、という議論があった。※だが、核戦争ではない通常戦争は行われつづけている。
どうやら人類は、核を封印しながら戦争は続けるという文明を新たに生み出したらしい。
(2)シリア問題
6月に入って急激に悪化したイラクの問題を語るには、まずシリア問題から入らねばならない。
キーワードは「アラウィ派」だ。今のシリアのバッシャール・アル=アサド政権は、アラウィ派によって成り立っている。アラウィ派はシーア派とは違う。シリアの北西部に神殿があって、輪廻転生を認める特殊な宗教だ。
※ユダヤ教、キリスト教といった一神教に共通しているのは、必ず「この世の終わり」がやってきて、その時には死んだ人も甦り、神の審判を受ける。アラウィ派はシリアの土着宗教、ヒンドゥー教、仏教などの影響が濃い。スンニー派からすれば、アラウィ派はイスラム教ではない。
そのアラウィ派がシーア派だということになったのは、シリアがレバノンに侵攻して、レバノンのシーア派指導者を脅したからだ。
そもそもシリアでも国民の7割はスンニー派で、アラウィ派は1割ちょっとしかいない少数派だ。いまでも基本的に同族結婚しかしない。教義も特殊で閉鎖的、ずっとアラブ社会では差別されてきた。それが第一次世界大戦が終わった後、フランスがシリアの国際連盟委任統治を担当した際に、現地の行政、警察、秘密警察をアラウィ派にやらせた。多数派だとすぐ独立運動などを起こしかねない。少数派だからこそフランスへの依存を絶ち切れないと考えたからだ。
※イスラム教徒の85%はスンニー派(イスラム教の慣習=スンナを重視)、15%がシーア派(アリー・第4代カリフの血統を重視)。アラウィ派とは「アリーに従う者」の意。だから自分たちをシーア派として認めてほしい。
こうした特殊事情を抱えるシリアに「アラブの春」が押し寄せたとき、どうなったか。「アラブの春」が起きたどの国でも、反体制勢力としてスンニー派の「ムスリム同胞団」が顔を出していた。ところがシリアにはムスリム同胞団がいなかった。現アサド大統領の父、ハーフィズ・アル=アサド・前大統領が皆殺しにしたからだ。
英仏は、アサド体制に反対する勢力がないと不都合だというので、シリアで反体制派を作ろうと工作したが、なかなか適当なのがいない。
※アサド政権が民主化運動を弾圧するなかで、政府軍幹部の中にも自国民を殺すのに嫌気がさしたグループが離反して、「自由シリア軍」をつくった。政府軍と自由シリア軍がぶつかり合っているところに、レバノンからシーア派の過激派組織ヒズボラ(神の党)がアサド政権の支援に入って、一気に政府軍が盛り返した。
すると、今度はシーア派に対抗するためにアルカイダ系の人々が入って大混乱になった。そこに、さらに便乗したのが「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」だ。
※ISISは、もともとイラクのスンニー派地域に「イラクのイスラム国」という名のごく少数の勢力として存在していた。ところが、隣国シリアで内戦が始まったので、しめたと「イラクとシャーム(シリア)のイスラム国」と名前を変えて入り込んでいった。彼らの戦略は乗っ取り。反政府勢力と自称しながら、アサド政権とは戦わずに、自由シリア軍を攻撃して、支配地域をどんどん取っていった。
(3)イラク問題
ISISは何故イラクに戻ったか。
シリアは6月3日に大統領選挙を実施した。【重要】破綻状態とはいえ、少なくともダマスカスから北西部に至る地域においては、人々がちゃんと投票に行った。アサド政権が実効支配していることがハッキリした。近い将来にはアサド政権が潰れることはない、という見通しが立った。そうなると、シリアで活動していたISISとしてはアサド政権の報復が怖い。そこで弱そうなイラクへ向かった。
さらには、イラクの油田もある。ISISはオマル油田(シリア最大の油田)を押さえたが、日量7万バレル程度だ。イラクの油田とは桁が違う。いまクルド族が押さえているキルクーク油田だけでも日量数十万バレルだ。
ISISが特異なのは、国家(<例>シリア)の支配を目標としていないことだ。世界イスラム革命を掲げ、世界をすべてイスラム化することを目標にしている。ロシア革命のボリシェビキのイメージだ。
※「過渡期国家論」だ。しかも、ISISの指導者は自らカリフ(イスラム教の預言者ムハンマドの後継者)宣言を行っている。
来たるべき世界イスラム帝国を先取りしたということだ。
【注】文中「※」以下は、池上彰発言要旨。
□池上彰/佐藤優「特別対談 戦争を知らなければ世界は分からない」(「文藝春秋SPECIAL」2014年秋号)
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日本の新聞で中東の記事が一面を飾るようになったら、現地では相当大変なことになっていると判断したほうがいい。世界と日本の新聞の一番の違いは中東情勢の量と質だ。
国際紛争をみていくには、歴史、民族、宗教、政治、情報、経済・・・・あらゆる要素に目配りしなくてはならない。逆に言えば、戦争から目をそらしていると、いまの世界の動きはつかめない。
なぜなら、いま起きている戦争は、いくつかの点で過去の戦争概念では捉えきれなくなっているからだ。
(a)紛争当事国の多くが破綻国家であること。さらにいえば、国家未満の武装勢力が戦争の主役を演じていること。※<例>イスラム国(IS)。ウクライナの親ロシア派。
ちなみに、シリアやウクライナがまともな国家といえるか、これも怪しい。国際法上の国家の要件は二つ。①当該地域が実効支配できているか。②国際法を守る意思があるか。・・・・この点、シリアは明白な破綻国家だ。①’国全体を実効支配できてない。②’国際法を守る気がない(自国民に対して毒ガスをまいている)。
※リビアも。米国大使館が全員退避した。
アラブの春がもっとも成功したとされるチュニジアも破綻国家の仲間入りしている。
(b)少し前までは実際に戦争が起きると最後には核兵器の使用に至り人類が滅亡する、だからもう戦争は不可能なのだ、という議論があった。※だが、核戦争ではない通常戦争は行われつづけている。
どうやら人類は、核を封印しながら戦争は続けるという文明を新たに生み出したらしい。
(2)シリア問題
6月に入って急激に悪化したイラクの問題を語るには、まずシリア問題から入らねばならない。
キーワードは「アラウィ派」だ。今のシリアのバッシャール・アル=アサド政権は、アラウィ派によって成り立っている。アラウィ派はシーア派とは違う。シリアの北西部に神殿があって、輪廻転生を認める特殊な宗教だ。
※ユダヤ教、キリスト教といった一神教に共通しているのは、必ず「この世の終わり」がやってきて、その時には死んだ人も甦り、神の審判を受ける。アラウィ派はシリアの土着宗教、ヒンドゥー教、仏教などの影響が濃い。スンニー派からすれば、アラウィ派はイスラム教ではない。
そのアラウィ派がシーア派だということになったのは、シリアがレバノンに侵攻して、レバノンのシーア派指導者を脅したからだ。
そもそもシリアでも国民の7割はスンニー派で、アラウィ派は1割ちょっとしかいない少数派だ。いまでも基本的に同族結婚しかしない。教義も特殊で閉鎖的、ずっとアラブ社会では差別されてきた。それが第一次世界大戦が終わった後、フランスがシリアの国際連盟委任統治を担当した際に、現地の行政、警察、秘密警察をアラウィ派にやらせた。多数派だとすぐ独立運動などを起こしかねない。少数派だからこそフランスへの依存を絶ち切れないと考えたからだ。
※イスラム教徒の85%はスンニー派(イスラム教の慣習=スンナを重視)、15%がシーア派(アリー・第4代カリフの血統を重視)。アラウィ派とは「アリーに従う者」の意。だから自分たちをシーア派として認めてほしい。
こうした特殊事情を抱えるシリアに「アラブの春」が押し寄せたとき、どうなったか。「アラブの春」が起きたどの国でも、反体制勢力としてスンニー派の「ムスリム同胞団」が顔を出していた。ところがシリアにはムスリム同胞団がいなかった。現アサド大統領の父、ハーフィズ・アル=アサド・前大統領が皆殺しにしたからだ。
英仏は、アサド体制に反対する勢力がないと不都合だというので、シリアで反体制派を作ろうと工作したが、なかなか適当なのがいない。
※アサド政権が民主化運動を弾圧するなかで、政府軍幹部の中にも自国民を殺すのに嫌気がさしたグループが離反して、「自由シリア軍」をつくった。政府軍と自由シリア軍がぶつかり合っているところに、レバノンからシーア派の過激派組織ヒズボラ(神の党)がアサド政権の支援に入って、一気に政府軍が盛り返した。
すると、今度はシーア派に対抗するためにアルカイダ系の人々が入って大混乱になった。そこに、さらに便乗したのが「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」だ。
※ISISは、もともとイラクのスンニー派地域に「イラクのイスラム国」という名のごく少数の勢力として存在していた。ところが、隣国シリアで内戦が始まったので、しめたと「イラクとシャーム(シリア)のイスラム国」と名前を変えて入り込んでいった。彼らの戦略は乗っ取り。反政府勢力と自称しながら、アサド政権とは戦わずに、自由シリア軍を攻撃して、支配地域をどんどん取っていった。
(3)イラク問題
ISISは何故イラクに戻ったか。
シリアは6月3日に大統領選挙を実施した。【重要】破綻状態とはいえ、少なくともダマスカスから北西部に至る地域においては、人々がちゃんと投票に行った。アサド政権が実効支配していることがハッキリした。近い将来にはアサド政権が潰れることはない、という見通しが立った。そうなると、シリアで活動していたISISとしてはアサド政権の報復が怖い。そこで弱そうなイラクへ向かった。
さらには、イラクの油田もある。ISISはオマル油田(シリア最大の油田)を押さえたが、日量7万バレル程度だ。イラクの油田とは桁が違う。いまクルド族が押さえているキルクーク油田だけでも日量数十万バレルだ。
ISISが特異なのは、国家(<例>シリア)の支配を目標としていないことだ。世界イスラム革命を掲げ、世界をすべてイスラム化することを目標にしている。ロシア革命のボリシェビキのイメージだ。
※「過渡期国家論」だ。しかも、ISISの指導者は自らカリフ(イスラム教の預言者ムハンマドの後継者)宣言を行っている。
来たるべき世界イスラム帝国を先取りしたということだ。
【注】文中「※」以下は、池上彰発言要旨。
□池上彰/佐藤優「特別対談 戦争を知らなければ世界は分からない」(「文藝春秋SPECIAL」2014年秋号)
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